少しずつ(12)
花壇がほぼ半分ほど出来上がってきたころのことだった。私は夜勤がたたって疲れ気味だったので、昼から休暇をとって帰ってきた。「ただいま」
私は声をかけたが、いつも帰ってくる妻の返事がない。買い物にでも行ったのであろうと思い、そのまま玄関から上がって縁側の方を覘くと、そこにワイシャツの袖をまくった男の背中と、彼に向き合っている妻が見えた。
ふたりはなにやら熱心に話し合っている。時に笑い声も聞こえる。私はなんだか声をかけるのも憚られて、鞄を置くとそっと表へ出た。
そのまま駅前の本屋へ向かった。特に買いたい本があるわけではなかったが・・。
小一時間ほどして帰ってくると、玄関にはまだ私の鞄は置かれたままだったが、もう男の姿はなかった。私が大きな声で奥に
「ただいま帰ったよ」と言うといつものような明るい声で、「あら、お帰りなさい。きょうはお早いのね」という返事。私が一度帰ったことは知らないらしい。
「Yさんはこのごろ来ているのかな」私が何気なさそうに水を向けると
「そうねえ、その辺に新しい鉢が転がってるでしょ。最近も来られたみたいよ」
・・・どこかが少しずつずれている。
それから数日たって、、自転車用のオイルを買おうと、ホームセンターへ寄ったときのことだ。ふと園芸コーナーを見ると、二人の男女が顔を寄せてひとつの鉢を見ている。パンジーだ。
鼻筋の通った色白の女の横顔。なんと妻である。男はY。彼は一つを手に取り、さらにもう一つを別の手に乗せて、妻に笑いかけながら見せている。これはどうかな、という風情だ。私は気づかれないように踵を返して、そそくさと店を出るほかはなかった。
花壇はますます、さまざまな花々で彩られるようになっていった。
私が帰ってくると、コーヒー茶碗がふたつ、そのままになっていたり、いつも私が座る椅子が生暖かかったりすることさえあった。私の帰る時刻になったので急いで戻ったのである。
さすがにこのあたりまでくると、心おだやかではない。
花壇も縁側近くまで迫ってきて、もう植えるスペースもなくなってきた頃、Yと帰宅途中のバスの中で会った。
「どうもすみませんねえ、我が家の花を可愛がっていただいて」私がお礼を言うと
「いいえ、こちらこそ、いつもおいしいものをちょうだいしています。お礼を言うのはこちらかも・・・。」男の口元が少し微笑んだ。
ついに少しずつ我が家の大切なものを持っていかれてしまったのか。今度は自分の番だったのだ。
バスが駅前の本屋を過ぎ、ホームセンターの前に差し掛かった。バスが赤信号で一瞬止まった時、Yが窓の外に誰かを見つけたらしく、そばの私には構わずに、大きく手を振った。
それに応えて、交差点で待っていた女も嬉しそうに笑みを浮かべて手を振った。
妻の視線には、隣にいた私を見るだけの余裕はもうないのだった。
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