文化・芸術

連載小説;ミスファンノベル

ええじゃないか(11)

 企業でもそうである。大儲けをしてそのあげく、負債を抱えて倒産しそうになるとどこからか負債をチャラにしてもいいじゃないか「まあええじゃないか、そのくらい」という声が聞こえてくるのは周知の事実である。こうして再び以前にもまして金儲けに走り出す。これなども、正統「ええじゃないか」運動の効果的運用と言っても差し支えない。

 こうして都会でもまた農村・漁村でも今、「ええじゃないか」の復活がじわじわと進んで来ている。

 これは筆者の地獄耳で集めた最新情報であるが、「大日本ええじゃないか連合総同盟」なるものが結成される運びになったと聞く。しかし、たぶん表面には出ないであろう。いわゆる大衆化するということは、この日本が誇る伝統文化といっていいだろう。社会現象を絶つことにもなりかねないからである。隠微な形を好むのがこの手の文化であるから。

 実のところ筆者は密かにこの本部のあるところをつかんでいるのである。東京のど真ん中、聞けばあっと驚くところ、その地下三階の一室にその本部は設置されている。誰でもよく知っている日本の政(まつりごと)を決める中核的な建物、と言えばお分かりいただけるであろう。これ以上は申し上げられない。読者諸氏が殺到することにでもなれば、直ちに滅びてしまう。そういう壊れやすいものであることは、これ以上くどくどと説明するまでもないであろう。

 ところで、こういう大きな運動には必ず逆の動きが出るものである。これを歴史学的には反動と言うそうであるが。その運動とは「ええじゃないかジャナイ」運動と言われているそうである。筆者は記者魂として今、ぜひともこの「ええじゃないかジャナイ」運動の正体を突き止めてみたいという衝動に駆られている。

 ただ、この「ええじゃないかジャナイ」というお囃子は、9文字であって、リズムに乗りにくいのではあるまいか、という疑念がある。どのようなリズムでこれを囃しているものなのか。それに乗って踊り狂うほどのえも言われぬ小気味よさが絶対に必要である。

 まあ、無理やり当てはめてみれば、トトンガトントト、トトンガトントトてなリズムであろうか。

 筆者としてはこのリズムでひそかに踊ってみたが、あまりうまく乗れなかった。やはり、日本語の微妙な旋律としては、付け足しのジャナイに無理があるように思われるのだ。

 次の特集で、このジャナイを含めた新興運動の実体験が報告できれば幸いである。

                                ーおわりー

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連載

ええじゃないか(10)

 だが、おおっぴらには広まらないのがこの手の現象なのであって、それがまた、「ええじゃないか連」をたまらなく惹きつけることになる。ひそかに伝わるものを担うということには隠微な快感があって、今度はそれをどうしても廃れさせてはいけないというこだわりへと進む。こうなるともうどうしても続けようという固い信念にまで成長する。と同時にその同志たちを、もはや血判も辞さないというほどの必死さへと変貌させる。これが「ええじゃないか」現象のものすごさである。

 今、都会の片隅ではじわじわとこの運動が浸透しつつあることはまちがいない。深夜、若者たちがコンビニの前の空き地などでたむろしているのをよく見て欲しい。しゃがんではいるが、何気なく空き缶や地面などを叩いて、なにやらうっとりと歌っている。よく聞けば「ええじゃないか」と言っているのが聞き取れるはずだ。空き缶と地面を叩くのは鉦と太鼓のつもりなのである。また、公園などで踊っている若者たちを見かけるであろう。この踊りの中にもしらけた大人たちには気づかれないように巧みに「ええじゃないか」という言葉を入れ込んでいる歌詞があって、それに合わせて鉦と太鼓のチャンチキチン・スットントロリの軽妙なリズムが織り込まれていることに気づくことだろう。

「ええじゃないか」を「いいじゃん」もしくは「そうじゃん」と言い替えたり、レゲエでスッチャカスッチャカ ボヨボヨボボンなどと楽器をうまく使ってはいるが、原型は言わずと知れた「ええじゃないか」にまちがいない。音楽理論から言っても、そのリズムは正確にええじゃないかバージョンである。実体験した私が証明する。

 また、パチンコ屋の音楽にも注意を払って欲しいのだ。よく聞き分ければ出玉の音を鉦の音にしていることがわかってもらえるはずだ。バックグラウンドミュージックの腹に響く低音楽器は太鼓が多いのもうなずけるであろう。チーンジャラジャラ チンジャララ ドンドンドントット ドントットの楽器に誘われて知らずに「ああ、ええじゃないか」と鼻歌混じりに歌ってしまう。特に玉が良く出たときなどは、無意識ながらはっきりと「エエジャナイカ」と怒鳴っているものである。これがもう口癖になった社会現象というものであって、つまり、いつのまにかこの運動が功を奏しており、脳の奥深く記憶化されているということなのである。そんなことはない、と否定したい気持ちも分からないではないが。

 ところで、これが実は次第に政治家や企業家にも蔓延していることを知っている人はほとんどいないと言っていい。外国との交渉で損失がわかっているのに、最後には「もうこれでええじゃないか」という言葉をやけ気味に発するのを常とする。これを聞き逃してはならない。ここにこの日本の伝統文化現象というか、社会現象というか、社会運動というか、集団ヒステリーというか、がはっきりと芽を吹き、花まで咲いているのである。まずその発言をした当の政治家にも意識されていないというところに、この運動の力強さが秘められている。

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連載

ええじゃないか(9)

 いつのまにか隣村までこの現象が伝わっていったのであるが、実はこの村が雪に閉ざされていたということに隠された要因があったのである。つまり外で活動できないということだけではない。雪の中のトンネルが大きな働きをしていたのであった。この「ええじゃないか現象が」外に拡散せずにストレートに原型が伝わって行ったのである。こういうものはいったん白日の下に曝されると、野次馬的な目で見られることから、どうしても色褪せてきて、しまいにはただ冷笑されるだけで見捨てられる。客観的な冷静さがこの種の現象を無残にも殺してしまうのである。

 そういうわけで、「ええじゃないか」は隣村に飛び火し、そこでも密かに大きな家の中で、あるいは土蔵のようなところで、しぶとく生き続けた。

 正月、都会から若者や出稼ぎの大人たちが帰ってくる。その際、寄り合いで酒が入ると、誰からというわけでもなく自然に、宴会の隅の方から最初は小声で「ええじゃないか ええじゃないか ええじゃないかあ」と歌いだす。するとそれはすぐに隣の人にうつる。そうしてあっという間にその宴会場の人々の大合唱となり、ついで奥の部屋から用意していたように鉦と太鼓を持ち出してくる。こうなれば、いわゆる言うところの大フィーバーである。次々に立ち上がって手を振り足を蹴り上げて踊り狂う。 

 それを都会に帰った者が、同郷会でやる。たいていその中にはおっちょこちょいがいるものである。職場や仲間の飲み会などでつい披露してしまうのである。初めはへらへら笑って見ている人々のうち、やはり乗りやすいタイプが必ずいるものである。その者が酔った勢いという逃げ口上で面白がって踊りだす。

 こうして少しずつ都会にも深く静かに潜行しながら伝わっていく。これは、文化伝播の典型的な道筋といってよいであろう。(つづく)

 

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連載小説;ミスファンノベル

ええじゃないか(8)

これまでこんな一体感で繋がりあった体験があったろうか。なかったように思う。せいぜい子どものころの神輿担ぎのときくらいか。でも神輿は力持ちでなければ担げないし、第一今は、お神輿なんぞ誰にでも担がせるわけではない。担ぎ手は決まっているのである。誰でもが参加できるお祭りはもうないといっていいのだ。だからこそ、この「ええじゃないか」踊りが生き残っていたのであるし、また隣村にも広がっていったのである。こういう分析を文化史的な推察というのではあるまいか。

 いつの間にか人々とともにこうして歌い踊っているという素晴らしさに、もう嬉しくて涙がぽろぽろこぼれ、ただひたすら「もうどうでもこうでもええじゃないか」と叫んでいた。

 ここまで読んできて、馬鹿らしいと思いつつ、にやにやしている読者諸賢も、周囲に誰もいないのを確かめた後、こっそりと「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」と言いつつ手足振り上げ、自由気ままに踊り狂ってみるとよろしい。筆者の体験を疑問視するのは、それから後にお願いしたいものである。

 そのすばらしい効果は、一人でもミニ体験できるが、できれば数人は同志が欲しい。やはり当初は人目につかないところで始めることをお勧めする。どうしても怪訝な目で見られ、時に警察に通報されることも予想されるからである。逮捕されてからその状況を説明するのは困難であろう。

 数十人から、百人ほどになってしまえばもうしめたものである。小川も大河になってしまえばこれを止めるのは至難の業(わざ)となる。踊る阿呆に見る阿呆、という名言の通り、集団的なひとつの心理現象がひたひたと見るものに伝染し、ついにはその猛烈な伝染力によって、野火のように燃え広がってゆくことを請合う。それはやってみた者にしかわからない魔力とでもいうべき力なのである。

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連載

ええじゃないか(7)

 答えは簡単、ただ伝わっているから、であった。この踊りを踊っていると体から悪い溜まり物が外へ蒸発してゆくようだとも言っていた。踊った後のすっきり感は、盆踊りなどとはまるで比べようがないほどだそうだ。それで月に何回か集まっては「ええじゃないか」踊りを踊りまくるというのである。

「オメエもやってみろ、エエもんだ」と誘われたので、その晩は、長老宅に泊めてもらうことにして参加してみたのであるが、これが驚くなかれ、ものすごく気持ちいいのだ。

 初めは長老が大声で、ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか、と怒鳴るようにして歌うのが呼び水である。するとすぐに鉦と太鼓がチャンチキ、トントンと囃す。あとはもう無理にでも声を出しているうち、どんどん興に乗ってくる。踊りの真ん中あたりに押し出された筆者も、初めはなんとなく恥ずかしく、またこそばゆい感じであって、ただ機械的に手足を動かすだけであったが、次第に興が乗ってきた。しまいにはもう何がなんだかわからなくなるほどの解放感のために、興奮はその極に達してしまう。人々との一体感はたとえようもなく快いものである。それは鳥肌が立つほどの恍惚である。きのうまで見ず知らずの他人同士が、部屋の中で鉦と太鼓に合わせて踊り狂う。人間っていいもんだなぁ、としみじみ思ってしまう。(つづく)

(8日ごろまで連載を休みます)

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連載

ええじゃないか(6)

「やめ、やめィ」

 鋭い声が飛ぶと、一同瞬間に静まり返り、いっせいにこちらを向いたではないか。中央付近にいた長老がつかつかと近寄ってきた。見てはならないものを見たような慙愧の念で、逃げ出したい衝動に駆られたが、もう遅い。

「おめぇ、どっからキダ。この村では見かけねぇツラだが」 

 筆者は職業がら、たいていの脅しなどにはびくともしないのであるが、この時は少々ビビッた。今までとろけそうな目をして踊っていた人々が、いきなり咎める目になってただじっとこちら、すなわち侵入者にそそがれていたからである。

「はっ、自分は東京方面からこの温泉に入りに来た者であります」 

 思わず旧帝国陸軍の軍人口調になっている。

「温泉?そうかオンシェンか」

 これで、一挙に疑いは晴れてしまった。と同時に、「ええじゃないか舞踊合唱団」の人々も、にっこり笑う者あり、お互いに顔見合わせて頷く者あり、で、和やかな雰囲気になったのであった。名づけてオンシェン効果とでもいうべきものであろう。

 女たちが小声で何かささやきあっていたが、広間の奥へぞろぞろと消えて行く。一方男たちはちゃぶ台のような机を並べだす、という風であっという間に今度は宴会場に早変わりである。まもなく女たちがお盆に載せた手料理を運んでくる。酒も瓶ごと持ってくる。今度はただ飲んでくだ巻くだけの大宴会となってしまった。

 筆者が大いにもてなしを受けたのは言うまでもない。長老の隣に座らされたのであるが、そこで長老から「ええじゃないか」がなぜこの地に残っていたのか、それでどんなご利益があるのか聞くことができたのである。(つづく)

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連載

ええじゃないか(5)

 30畳ほどもあろうか、大広間の煌々とした明かりの下、老若男女4、50人ほどが思い思いに手を振り上げ足を蹴りつつ踊り狂っているのである。表情はまさに恍惚そのものであって、半ば開いた口元にはうっすらと笑みさえ浮かべつつトロンとした目は古ぼけた天上を見上げ、ええじゃないか、ええじゃないかと唱和する。低い男のだみ声あり、甲高い女のキンキン声あり・・・。

 それらがまさに一大饗宴となって同じ方向を回るでもなく、ただやたらに自分の感情の高まりにあわせてあっちこっち向いて踊っている。まさに度肝を抜かれるというやつである。筆者は、雑誌記者であるという自覚もどこへやら、ただ呆然と玄関の上がりかまちに両手をついているばかりであった。

 これは新興宗教であろうか、いやそうではあるまい。思い当たるものがあった。たしか幕末の「ええじゃないか」運動(?)であろう。それがこの雪に埋もれた村にひっそりと伝えられていたと判断するのが最も適確であると断定した。わたしは歴史には少し詳しい方である。 

 そのうち興奮が最高潮に達したと思われたころ、一人の長老風の男が竹籠を胸に抱えて真ん中に踊りつつ出てきた。おもむろに籠の中に手を入れ、中からお札のようなものを鷲づかみにしたかと思うと、いきなり天上に向かってそれを投げ上げた。お札はひらひら舞いつつ踊り手の頭の上から舞い落ちる。すると宴はまさに嬌声に包まれ激しい興奮のルツボとなり、誰もが躍り上がってキャアキャア叫びつつわれ先にそのお札を奪い合う。そうしてそのお札を手に持った者は、高々と頭上に差し上げ前後に振りつつ満面喜悦そのもの。さらに雪の屋根も吹き飛べとばかりに一段と声張り上げ、跳ね上がるようにして「ええじゃないか ええじゃないか」の猛烈大合唱となった。

 ただただその雰囲気に呑まれて立ちすくんでいた筆者は、ついに一人の男の目に止まってしまった。

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連載

ええじゃないか(4)

 元気を取り戻した足は、勢いよく雪を掻き分けながら音のする方に向かった。その音は次第に大きくなり、賑やかな囃し声も聞こえてきた。どうも「ええじゃないか、ええじゃないか」と言っているようである。それもひとりではない。相当数の人数で囃している。

 どうやら大きな雪の小山、つまりお屋敷と思われる屋根の下から聞こえてくる。入り口はよくわからなかったが、そこと思われるあたりを手で掻き分けて見ると、ズボッと丸い穴が開き、その中に玄関らしい引き戸が見えた。玄関前には通路らしきものが開いている。雪の下で人々は、雁木のような屋根を作り、連絡通路としているのであろう。

 丸い穴が開くと音はさらにはっきり聞こえてきた。なんとか言葉で表現すると、こういう風になる。

「ぁ、ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないかあ」のお囃子の後で、鉦と太鼓が、チャンチキチンチン チャンチキチンチン チャンチャンチキチキチャンチキチン スットン スットン スットントン スットン スットンスットコトンとだぶる。この単純な楽器の合奏音の繰り返しは、音楽になっているものなのか、あるいはなんと言えばいいのだろう、まあ二種類の楽器によるお囃子的変奏曲とでもいうのだろうか。

 それが延々と続いているのである。穴の中に足からそっと入って、ズズズと玄関先まで滑り落ちたわけであるが、それから失礼とは思ったが、自分だって宿は探さなければならないし、それより何より好奇心が玄関の戸を開けさせたのであった。

 そこで繰り広げられていたものは、雪の下の竜宮城の宴会のようであった。今でもありありと思い描くことができる。(つづく)

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連載小説;ミスファンノベル

ええじゃないか(3)

 近づいてみると、煙は、温泉の湯気であった。岩間からこんこんと湯が湧き出している。その湯は岩に囲まれていて、二十畳ほどもあるだろう、大きな湯舟に流れ込んでいる。周囲はうずたかい雪の中であったが、雪が溶け込むせいであろう、ぬるからず熱からずちょうど良い温度であった。早速、汗と雪でぐしょぐしょになった服を脱ぎ捨てるようにして雪の上に放り出したまま、温泉の中に沈んだ。その快感はとうてい書き表すことが出来ないのが残念である。身も心もゆっくりと溶け出してゆき、体の芯まで湯の成分が染み透るようであった。そのうちうとうととしてしまったのも無理はない。

 朦朧としている耳に、どこからか、鉦の音がチンチンと聞こえてきたのである。こんな雪深い村でしかも今頃なんであろうか。お弔いでもあるのか。しかし、よく聞けばその音は哀しげな音ではない。よくチンドン屋が陽気にならすあの音に近い。チャンチキチャンチキという感じである。その合間にトトン、トトンという小さめの太鼓を叩く音も混じっている。なにやらお囃子のようでもある。真冬に行われる雪祭りなのか。それも考えられる。

 いい加減暖まったので、湯から上がることにし、その音のする方へ行ってみることにした。今晩泊まるところも探さなければならなかったので、音のするあたりで聞けば宿屋もわかるかもしれない。

                                     (つづく)

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連載小説;ミスファンノベル

ええじゃないか(2)

 筆者が雪深い北日本のとある村へ湯治に出かけたときに目撃したことを、できる限り誇張を抑え、事実に即して忠実に記すつもりである。

 その温泉は温泉通の間でも秘湯中の秘湯と言われ、実在するか否かも怪しいとささやかれていたいわば幻の湯である。そこまでのアクセスであるが、まずはバスで2時間半ほど山奥に入った終点から、後は3時間以上、胸近くまである雪をラッセルしながら進まなければたどり着けないところである。夏は、鬱蒼とした緑の中に埋もれていて、薮を切り開かないと、とうてい進むことは出来ない。むしろ、冬の方が枯れ木の上を泳ぐようにしてでも進むことが出来る。

 それで、わざわざこの冬、旅行詩から頼まれて取材の旅をすることになったのである。

 それは聞きしに勝る辺鄙な山中にあった。家々は屋根まですっぽり雪に埋もれ、ところどころその雪が小山のように盛り上がっている。それが家であることは。わずかに見える二階の窓や庇で見当がついたのである。出口もどこにあるのかわからないほどである。まさに常識からかけ離れた豪雪地と言っていい。

 ともかく、雪まみれの体ばかりでなく神経までもくたくたに疲れ果てていたので、山かげから出ている煙を見たときは、まさに地獄に仏の思いであった。そこには誰かがいるにちがいない。最後の力を振り絞って煙に向かった。まさに雪の中を泳いでゆくのである。

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連載小説;ミスファンノベル

このミスファンという造語は、ミステリアス・ファンタジックということ。ノベルは小説だが、純文学という範疇には入らないもの、ということ。(のつもり)これから、しばらく、自作のミスファンノベルを書くことにします。(既刊;「泥鰌の反乱」より)

ええじゃないか

 今頃なぜ、と思われるかもしれないが、江戸時代末期、いわゆる幕末に、憑かれたように流行ったという「ええじゃないか」が実はある村で静かに引き継がれているということ、それだけではない、その「ええじゃないか」がその山間僻地とも言われてきた村から、ひたひたと近くの村へ、さらにその先の都会にまで伝染しつつあるという事実をこれからお伝えしたい。

 その前に「ええじゃないか」の歴史を簡単に紐解いておく。慶応三年というから1867年にあたる。今からちょうど140年ほど前である。それほど古い話ではない。

 その8月ごろから、東海地方に始まった奇妙な集団乱舞である。それは遠く近畿、四国、さらには信州にまで及んだという。「ええじゃないか」と囃しながら、なぜか大衆が村々を踊り狂って練り歩いたのである。時代の変わり目に当たっていたため、一種の集団ヒステリーと言ってよいかもしれない。

 それがこの平成の安定した世に流行りだしたきたのである。極めて不気味なことと言わなければならない。(つづく)

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