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2009年7月

カメラ持った高齢者の団体に

遭遇した。

これはちょっと、異様であったなあ。

初め、何を持っているのかと思って、観察してしまった。まず、杖のようなものが目に入った。そうデス、三脚なり。

次に、目を胸元にやると、なんと高級カメラをがしゃがしゃとブル下げている。その人数ざっと30名ほどか。

この人々の団体は、すくなくともワシの年代より上。つまり、60歳後半から、80歳、いやもっと上の年齢までいらっしゃるとお見受けした。

花園であったので、階段やら坂道が次々に出てくる。それをまさに喘ぐようにしてアップダウンする。しかし、ポイントに来ると、リーダーらしき男性が「ハイここでいきましょう」言いつつ、みんなを促す。

ジジババ、がちゃがちゃと三脚立てて、ものすごい高級一眼レフ、覗き込んで、カシャカシャ・・・・。

そうしてまた次のポイントへ、胸から下げたカメラを、猫背になった空間でぶらぶらさせつつ、移動する。三脚は肩から斜めに下げているが、地面に着きそうである。

こういう団体があっても別に悪くはないのだが、高齢になって、高級カメラ操作するのも容易ではなかろうと思うのであるが、それはシロウトの勘ぐりであるか。若いときからカメラ好き、という人も多いからなあ。

それにしても、なんだか異様な雰囲気であったなあ、ジジババのカメラ集団というものは。

ワシは外国のことは良くわからんが、こういう団体というものは、日本だけではないのかい。日本人というものは、団体になると、なにやら異様な煙が立ち昇るようであるなあ。

ともかく、なにか興味のあることをやっていないと気がすまない。そういうものなのであろうか。自分のことを振り返ってみて、もっと高齢になった時、こういう集団に入るかどうか思ってみたが、ちょっと尻込みするなあ。

今頃は、部屋の片隅で、ニヤニヤしながら布切れ持ってカメラ磨いているのだろうか。鬼気迫るものがあるなあ。ま、どうでもいいようなものではあるが。

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ゴミ捨てに困る年齢というもの

がある。

あるオバアチャンが、ゴミの種類を分けるというが、そのわけかたがワカラン、といっておった。プラスチックゴミなのか、燃えないゴミなのか、資源ごみなのか、微妙に分からないものが出てくるのが現代のゴミなのである。

それにゴミ出しの期日が決まっておる。これがまた厄介なのである。収集される場所へ行くものと、戸口に出しておけば持って行ってくれるものと、料金払わないと持っていってくれないもの、また大きなゴミもある。これを分別しないといけない。これは専門に収集する役所の担当は良くわかっておるのは当たり前なのであるが、一般に分かりにくい。特に年寄りには難しい。

なぜか、この分別収集というものがもう一般的になってしまって、分別出来ない人は、ゴミ戦争に負けちまう。どうしたらよいかワカラナイのである。

すると、どうなるかというと、エーイ、面倒だ、そのあたりにブン投げちまえ、ということになる。あるいは、ゴミの山に家の中が足の踏み場もないほどになっちまう。

ワシの近くにもちょっとした草叢があるのだが、必ずといっていいほど、その草叢のフェンスの中にビニールの大きな袋に入ったゴミが捨てられている。一度見かけたことがあるが、若者であった。若者は単に、面倒くさいだけであろうか。いや、やはり分別がかったるいのかもしれないのだ。

自分で出したゴミは自分で始末、それは結構なことだ。だが、もっと分かりやすくできないものかといつも思う。

ワシも良くワカラナイゴミを出しに行くと、必ず町内会長が監視している。そうしてエラソウに、「ああそれは出せないよ。ばらばらにして今度の○○の収集日に、きちんと縛って出して」などと指示する。よほどゴミ奉行は偉いものとみえる。

年寄りは、大きなゴミをバラスなどということはできない。一人暮らしの年寄りは、こんなところでも、困り果てている。

電車の切符が買えない、とか、バスに乗るのにカードが使えないとか、むろん孫とメールでやりとりもできない、とか。やることが細かくなり、機械が間に入るようになったりすると、年寄りはうろたえてしまうのだ。もうワシらは時代遅れじゃ、と慨嘆するばかり。

やはりこれはなんとか、ワシらのようなものでも簡単にできるような、仕組になって欲しいなあ。ワシとてこのブログ、やっと書いておる。フリーズしたり、ネットがいくらやってもつながらなかったり、せっかく書いた文章があっという間に消えちまったりしている。

ニンゲンが介入しなくなると、殺伐とする。年寄りがゴミを出しやすくする方法を、町内会長が考え出すということになれば、ニンゲンが介入することになる。「それはね、次の何曜日に、お宅の前に出しておけばいいんですよ。オバアチャンが分かりやすいように、ゴミの袋の色と同じラベルを、収集場所の所に貼っておきましょう」ということになればいいわけである。また、自動販売機の周囲にひとり、駅員がいて、手伝ってやればいい。

バスの運転手は、間違ったカードのいれかたをする前に、「ここへ入れて下さいね」と一声かければいいだけだ。そういうニンゲンの介入があれば、ずいぶん違うはず。

それなのに、分別はもう回覧板で回っているから、わかっていなくちゃいけない、という。また、機械があるのだからそれを何度もやり直して使えばいいじゃないか、という。つまり教えないで、黙って、見ていて、ただ決まりを楯にとって、居丈高に、高圧的に、年寄りに接する。

だが、そういう若者自認する者も、まもなく時代遅れになっちまう。若いときにこんなことぐらいすぐにできたのに、と思う。しかし、生き物はいつかは必ず衰える。

こんなことの繰り返し、なのかもしれん。

それにしても潤いのない時代だなあ。ゴミ一つ出すのにいらざる神経使って、叱られて、不快になる。実にいやな時代になっちまったのである。特にワシら年寄りにとっては。

ま、愚痴を言っても始まらん。その日一日、どうやらこうやらやり過ごせたら、それはそれで大儲け、ということにしておこうか。そこで、一句ができた。(いけねぇ、今日中にこのゴミ出しておけば良かった・・・・。)

 猛暑日やごみ収集の尖がった眼

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病院はお友だちばかり

であった。つまり、同年代の人生後半にあるお友達ばかりが目立つのであった。

病院の中は、患者は、ワシらの年代が多いのだが、それを支えている病院のスタッフ、つまりドクター、ナース、事務職・・・の方々は、皆様お若い方ばかりである。これはつまりは今の日本の社会の年齢構成の縮図であろう。

ワシが驚いたのは、ドクターの若さである。女医さんであったが、じつにてきぱきと検査を指示し、そうして診断を下す。無駄な言葉は一言もない。患者は高齢者であるからぐずぐずするし、(むろんワシもその仲間である)何度いっても呑みこめていないようであるし、たいへんだと思う。

だからかもしれないが、無駄ごとも言わず、しかし、質問にもはっきり答える。実に頼もしい限りであった。

その病院はけっこう評判のよい中堅病院?とでも言うべきところで、処理がやや事務的すぎる嫌いはあるが、それはまあ、わし等がドット押し寄せるからしかたのない面もあろう。

ニュースではけっこうワルイ病院もあって、不正請求など、考えられないようなことが起きているようであるが・・・。

思うに、ワシらのからだは、もう60年以上は使用して来ている。メンテナンスもせずによくもここまで持ちこたえてきたものである。最近は、健康ブームとかで、完全なる健康を目指してジジもババも、懸命である。それが生きがいになっておるようなところ、はっきりみえる。

だが、人間もナマモノ。完全なる健康など幻影である。ボロ船修理しつつ、水漏れ無いか、舵は壊れていないか点検しつつ、大荒れの海は避けつつ、どうやら航海して行く。それでいい。

それにしても、医療費は高いなあ。人生後半の経費、ほとんどは医療費に消えるのではないか。ワシの住んでいる自治体では、医療費が無料になるのは、100歳からである。なんと・・・・。絶句ではないか。介護保険料も高いぜ。ヨレヨレの年金生活者からむしるだけむしる、と言う感じだなあ。凄まじいなあ。

ま、そんな愚痴は言っても始まらぬ。ワシの信条として、国政には期待しない、のであれば、何をかいわんや。

ところで、優秀なる若き女医の診断の結果、「とくに心配いりません」だけであった。その間、30秒ぐらい。

若いときはともかく、今、故障なく、生活できていることは、なかなか得がたい幸いと思わなければなりません。

良心的な病院のスタッフに頑張ってください、と言いたいね。若い者に感謝するということ、あまりないのだが、今回は、それが体験できてよかったなあ。ヘンなハナシだが。

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