がある。
あるオバアチャンが、ゴミの種類を分けるというが、そのわけかたがワカラン、といっておった。プラスチックゴミなのか、燃えないゴミなのか、資源ごみなのか、微妙に分からないものが出てくるのが現代のゴミなのである。
それにゴミ出しの期日が決まっておる。これがまた厄介なのである。収集される場所へ行くものと、戸口に出しておけば持って行ってくれるものと、料金払わないと持っていってくれないもの、また大きなゴミもある。これを分別しないといけない。これは専門に収集する役所の担当は良くわかっておるのは当たり前なのであるが、一般に分かりにくい。特に年寄りには難しい。
なぜか、この分別収集というものがもう一般的になってしまって、分別出来ない人は、ゴミ戦争に負けちまう。どうしたらよいかワカラナイのである。
すると、どうなるかというと、エーイ、面倒だ、そのあたりにブン投げちまえ、ということになる。あるいは、ゴミの山に家の中が足の踏み場もないほどになっちまう。
ワシの近くにもちょっとした草叢があるのだが、必ずといっていいほど、その草叢のフェンスの中にビニールの大きな袋に入ったゴミが捨てられている。一度見かけたことがあるが、若者であった。若者は単に、面倒くさいだけであろうか。いや、やはり分別がかったるいのかもしれないのだ。
自分で出したゴミは自分で始末、それは結構なことだ。だが、もっと分かりやすくできないものかといつも思う。
ワシも良くワカラナイゴミを出しに行くと、必ず町内会長が監視している。そうしてエラソウに、「ああそれは出せないよ。ばらばらにして今度の○○の収集日に、きちんと縛って出して」などと指示する。よほどゴミ奉行は偉いものとみえる。
年寄りは、大きなゴミをバラスなどということはできない。一人暮らしの年寄りは、こんなところでも、困り果てている。
電車の切符が買えない、とか、バスに乗るのにカードが使えないとか、むろん孫とメールでやりとりもできない、とか。やることが細かくなり、機械が間に入るようになったりすると、年寄りはうろたえてしまうのだ。もうワシらは時代遅れじゃ、と慨嘆するばかり。
やはりこれはなんとか、ワシらのようなものでも簡単にできるような、仕組になって欲しいなあ。ワシとてこのブログ、やっと書いておる。フリーズしたり、ネットがいくらやってもつながらなかったり、せっかく書いた文章があっという間に消えちまったりしている。
ニンゲンが介入しなくなると、殺伐とする。年寄りがゴミを出しやすくする方法を、町内会長が考え出すということになれば、ニンゲンが介入することになる。「それはね、次の何曜日に、お宅の前に出しておけばいいんですよ。オバアチャンが分かりやすいように、ゴミの袋の色と同じラベルを、収集場所の所に貼っておきましょう」ということになればいいわけである。また、自動販売機の周囲にひとり、駅員がいて、手伝ってやればいい。
バスの運転手は、間違ったカードのいれかたをする前に、「ここへ入れて下さいね」と一声かければいいだけだ。そういうニンゲンの介入があれば、ずいぶん違うはず。
それなのに、分別はもう回覧板で回っているから、わかっていなくちゃいけない、という。また、機械があるのだからそれを何度もやり直して使えばいいじゃないか、という。つまり教えないで、黙って、見ていて、ただ決まりを楯にとって、居丈高に、高圧的に、年寄りに接する。
だが、そういう若者自認する者も、まもなく時代遅れになっちまう。若いときにこんなことぐらいすぐにできたのに、と思う。しかし、生き物はいつかは必ず衰える。
こんなことの繰り返し、なのかもしれん。
それにしても潤いのない時代だなあ。ゴミ一つ出すのにいらざる神経使って、叱られて、不快になる。実にいやな時代になっちまったのである。特にワシら年寄りにとっては。
ま、愚痴を言っても始まらん。その日一日、どうやらこうやらやり過ごせたら、それはそれで大儲け、ということにしておこうか。そこで、一句ができた。(いけねぇ、今日中にこのゴミ出しておけば良かった・・・・。)
猛暑日やごみ収集の尖がった眼
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