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2009年5月

オジイチャンとオバアチャンが

門から出てきた。

ワシは、踏み切りで電車が通り過ぎるのを待っていた。線路沿いにその家はあった。

オバアチャンは、涼しげな夏の着物を着ているが、ようやく歩けるという感じで、線路の脇の柵に掴まっていた。

オジイチャンは、そのオバアチャンの手を引いているのだが、なにせオバアチャンは、歩くのがやっとで、柵に掴まって一歩ずつしか歩けない。オジイチャンは、少し困っていて、それでもオバアチャンの草履が、内股になってしまって、歩きにくいので、しゃがんで直してやったりしている。

オバアチャンは、なんとか柵に掴まってでも、一歩ずつでも歩いて、踏切まで来たいのであるが、足が悪くて思うように進まないのであった。

電車が近付いてきたので、警報機がカンカンカン、と鳴っている。ふたりは踏み切りの中ではないから、危なくはないのだが、それでも、なんだか警報機が鳴っていると、不安になってしまう。

電車がやってきた。轟音を立てて、通過してゆく。オジイチャンとオバアチャンは、まだまだ家の門から5メートルくらいしか歩けていない。

ワシは、どうしたものか、ちょっと考えたが、オバアチャンを背中に負ぶってやるという勇気もなく、電車が通り過ぎて、踏み切りの遮断機が上がったので、自転車を押して、踏切を渡ってしまった。

負ぶうといっても、踏切を渡ってそれから駅までは、普通に歩いても10分はかかる。駅まで行くには、ワシは自転車であるからムリでもあった。

どうしてタクシーを呼ばないのかな、と思ったが、なにか呼べない事情があるのかもしれない。たとえば、どこへ電話すれば良いのか分からないとか、出かけようとしたら急に足が痛くなったとか・・・・。

今日、ふと見かけた光景だが、なんとなく心に残ってしまった。なぜなのか、よく分からないが。

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田植えに誘われたのに

残念。あした、近くの若い友達が田植えをするけど、どうですか、とのお誘いあり。念願の米作り!!米作りをしてこそ、ニッポンジンである。

近くの休耕田、借りて、三人で米作りに挑戦すると言う。ワシのような軟弱な町育ちには、ちとたいへんかもしれないが、しかし、自分で作った米が食べられるなんて、ぞくぞくするほどの楽しみがあるなあ。

むろん、都会から離れた「畑作りごっこ」しているところでのハナシ。滅多にないぜ、こんな良い話。明日はこっちで用事があるので、やむなく、帰ってしまったが、田植えは一年に一回だけの貴重なチャンス。

老体に鞭打って、田んぼに入り、機械であろうが、田植えというまさに伝統農業、ニッポンの誇り、少しでも体験できるチャンスであったのになあ。

畑の近くのオバチャンがやっている水田、一日かかって小型の耕運機で耕し、水を引き入れ、少しおいてからまた、水を入れて、また耕運機で耕し・・・。それから田植えにかかる。去年、見ていたら土砂降りの雨の中、一人でグーングーンと耕運機押して、長靴ドボドボになりつつ、日暮れまでやっておった。ワシはもう感動してしまった。

たいへんな労力である。忍耐である。体力である。ニッポンジンの精神の足腰、こうして鍛えられてきたのであった。

粒粒辛苦、とはこのことであろう。偉いものである。お代官様が無理難題言って、エラソウにこの汗水たらして作った米、巻き上げれば、一揆でも起こしたくなったろうよ。

ワシはこういう徹底して腰を低くして、這い蹲るようにして作ると言う作業、こういうものになぜかあこがれてしまうのである。軟弱な町育ちのジジイの、わがままに間違いはないのだが。

浮き上がったような町の生活じゃなく、地面にモグッテシマウような、まさに泥臭い、金にもならず、名誉もない、そうしてただひたすら毎日こつこつと同じことを繰り返す・・・。今日は良い風が吹いているなあ、とか、腰を伸ばしてみる遠くの山はもう雪がなくなってきたなあ、とか思いつつ、昼になったら握りメシ食って、日陰で昼寝でもして、それからまた這い蹲るような仕事をして、カラスとともに家に帰る。そして、風呂に入って一汁一菜でいいから晩飯食って、8時には寝てしまう。

どうだろう、こういう生活をいまでも農家のオジサンオバサンは、やっているはずだ。

やはり、こういう生活にあこがれるなどと言ったら、そのオジサンやオバサンに叱られるだろうなあ。「もうおめえのような歳じゃ、腰が伸びねえよ。田んぼに一日入って草取りもできねえよ。あはは」だろうな。

しかし、わがままでもイイノダ。一度は、田んぼに入って、米作り、やってみたいのだ。人生後半に来てこんなたいへんなことを言い出すとはなあ。

来年もまた誘ってくれるだろうか。米作り。それまでこっちが元気でいられるかどうかが問題だなあ。

ヤダヤダ・・・・。

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毎日が大事

なのは、なにも年齢には関係ないのだが、しかし、ワシらの年齢(高齢者と言われるいやな呼び方)になると、一日一日が極めて重要になってくる。

それは「先を考えると焦る」と言う風なものでない。これまでいい加減に考えてきた時間についてのとらえ方が変わるということであろうか。

昨日、昔の友達と飲み会を持った。席上、ひとりが、「実は自分は、末期症状になっていることがわかってさあ」と言う話になってしまった。医者は、もう手術できる段階ではない、と言ったそうである。

それをきいてワシらは仰天して、フーンと言うばかり。

ところが彼は、特段表情を変えるでもなく、酒はいつものように飲むし、日本の老人政策のお粗末さなど、いつもの語り口で話す。にこやかである。動じていない。

ワシら周りのものが、シュンとなっている。こういう時、周囲のものはなんと言ってよいものか、うろたえるばかり。

ワシは、この人の死生観、どんなものなのか、知りたくなったが、質問も憚られた。ともかく、えらい男だ、と密かに畏れた。ふだんは、特に豪快な人間でもないし、なにか宗教的な信仰がある男でもない。ワシと同じ、退職して家にいる年金生活者である。

つまり、後何年生きるかと言うような問題ではなく、一日一日、しっかり充実していればよい、ということらしい。そういう風に、見極めることができるという死生観が凄い。

ただなにげなく、いつもの生活をちゃんとして、そのまま過ぎていく。それができるということが大変なことだと思う。つまり一日一生、なのである。

人生と言う概念が、遠くにあると思っていた若い頃とは違って、今の一瞬が、つまりは人生そのものであるということ。そこに徹しているようなのである。ワシは、この男に、参った。とてもワシだったらこうはいかない。じたばたする。飲み会なんぞに出る気はしないで、アチコチの病院回りをするだろうし、あわてて、宗教書なぞ読み出すだろう。どこかに生きるアテのようなものを、安心して残りの時間を過ごせる頼りになるものを探して、もがくだろうと思う。

ワシはこういう友人を誇りに思ってしまう。自分はとうていできないこと。それをこの男はサラットやってのける。世の中には凄い人間がいるものだと、今、シミジミ思っているのである。

平凡なことだが、要するに毎日が大事、ということなのであろう。毎日以外に、永遠などない。そういうことをこの男は、ワシらうろたえている人間に見せてくれたのであった。

楽しそうに飲んだ彼は、駅で、ニコニコして手を振って帰っていった。「この次会う時には、もうすこし、ハッキリしていると思うよ」と言いながら。

ワシは電車の中で思った。彼の方が不幸かどうかは、分からないぞ、と。というのも何をもって、その人間の人生の価値判断をするのか。それこそ神様でも分かるまい。と。何がどうなるか、それは誰にも分からぬ。チンジャラジャラと人生の総合計の答えが出るわけはない。

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歳をとっての旅は

けっこうきついものがある。それはそうだ、体力、あると思っているが還暦も過ぎ、ロクスッポ体力づくりもせずに、だらけておる。

まあ、それでもゆっくりゆっくり、歩いて、休憩何回もとって、椅子があればすわり、水分補給しつつ、(暑かったので、アイスクリームも二回、食っちまった)よろけるほどではないが、見物する。

後何回、旅ができるかなあ、と仲間と話しつつ、無事に終了する。旅を共にするという仲間は信頼できる。これがすばらしいこと。年とってから信頼できる友人は、貴重だ。

信頼、と言えば、あのOさん。建設会社からカネ貰っただの、と騒がれちまったが、やはりダメであったか。このブログでも触れたように思うが、居直るのはまずかったなあ。がんばるだけ頑張ったのだろうが、世論は厳しかったのか。それなら、あのTさんのように、支持率なんぞ関係ない、やるべきことをやると言って政策次々に打ち出していくという、頑強さがあれば、とも思うのだが、それはチトむり。

犯罪に関わるとそれは支持率どころの騒ぎじゃないからなあ。身を引いて当たり前だった。この人、以前にも辞任騒ぎを起こしたことがあったが、こんども同じようにさらに居直るのだろうか。まさか・・・。

秘書を信頼しておったのであろうが、この信頼は別の意味での信頼だった。金集めの得意なもの同志の、密かなる同盟であったろう。

今回のことで、ニッポンジン、もうあの建設会社事件、忘れてくれたであろう、とOさん他、側近も、密かにたくらんでおったのだろうが、なかなかどうして、世論は覚えておった。やはり国民を軽視しすぎた?結果とも・・・・。

ところで、やはりまたワシの予想があたっちまったが、うれしいうれしいスモウレスリングの話題。ワシはもう面白くてたまらん。こんどは、もうひとりのチャンピオンも絡んであるという。嬉しいなあ、やっぱりなあ。もっともっと破廉恥にやってくれよ。

この方々が、ニッポン国技よろしく、(もちろん演技であるが)真面目な顔して、もったいぶって仕切り、土俵リングの上で大暴れする・・・。このスキャンダルにまたまたコメントが飛び交い、マスコミがこのおいしい餌に食いつく。

不謹慎だの、礼儀知らずだの、恥を知れだの、さんざん悪態つくその評論家・ブンカジン審議委員のみなさまがたの仏頂面、まことに面白く、これからしばらくはテレビが楽しめそうである。

これについては、日をあらためて、書かせていただく。あー、楽しみだなあ。人生いろいろあって、嬉しい嬉しい。

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