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2009年4月

永遠とは今のこと

であるということが、だんだんこの歳になると分かってくるなあ。

というのは、一日一日を大事に生きると言うことは、とどのつまりはその時間が、永遠であって、永遠とはその時間が毎日続くと言うこと。

これはちょっと頭では分かりにくいことだったのだが、今と言う時間が、どんどん流れていく。それがすなわち次々に時間が経過するのであるから、つまりは永遠と言う時間に同じ、ということなのであるよ。

うまく言葉では言いきれないもどかしさあるが、一秒が一生と言ったら、妙なことだが、実感ではどうもそうなのである。ワシはむろん哲学者ではないので、ただのオヤジであるので、ナマイキなことを言ってはならないのであるが、実感であればこれはもう仕方がないこと。

なにしろ、自分の人生は自分で生きるわけだから、誰がなんといっても、これは自分の時間、自分の分かりかた、で良いはず。

それがどうした、ということになると、これまで先へ先へと目標を立てて、生き急いでいたことがなにやらアホに見えるので、それは実にラクチンである。なにしろ、今日一日だけ思うとおりに生きたら良いのであるから、それがもう永遠の生き方であるのであるから、これはもうものすごくラクチンなのである。

だってそうでしょうよ。たいていは明日があると思っているが、なに、明日の朝は起きてこないかもしれないじゃないの。友達で、布団の中でオサラバした人がいるが(これ、ブログで書いたっけ)それをみても良く分かる。

今、大地震が来たらどうなる?予測なんて絶対にできやしない。ワシは常々思っておることの一つは、地震予知なんとかいうもの、あんないい加減なところに税金、使わんと災害対策のほうに税金回せと。

大方は、大地震来たら、逃げようがないぜ。

というわけで、今日一日、一生懸命生きて、煎餅布団に入れたらそれで、オーケーじゃないのかい。

歳を取ると、いいねえ。こういう難しい人生と時間の問題が、なんとなく分かっちまうのだ。正しいかどうか、また、考えが変わるかどうか、それは請合えない。大事なことは今、自分だけはそう実感している、というワガママでよし、ということ。だってそうでしょうよ。自分がそう思うこと以上に、何が正しいと信じればいいのさ。もうこの歳になって。

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世は全て何事もなし

ごちゃごちゃ考えて、頭に来たり、泣いたり笑ったりしても、どうせ時がたてば忘れてしまう。病気になっても、治らなければそのままオサラバだし、地位があろうと金があろうと、やれることは高が知れている。自己満足。それでもいいから一度は・・・か。

どこへいっても、世間は変わらず、いやなヤツもいればいいヤツもいるがそれもみんな、自分の物差しで推し量っているだけ。

何があろうとも、それはそれで一回ずつ終る。

いつまでも生きられるわけじゃなし、そうかといって投げやりになるわけにも行かず、一日、できるだけ皆様のご迷惑にならず、身の回りの生活まともに一つずつこなしていくことが、つまりは人生と言うものでしょうよ。

若いときには夢中でやりがいのある仕事探して、人より偉くなりたいだの、給料多く貰いたいだの、あるいは家族を養って家を建てて・・・・だのと、あれこれ思って頑張ったものだが、またそれが張り合いだった。

しかし、退職したワシらの年代になると、夢や目標も少しずつ現実的になり、一日を大事にカミシメテ過ごすようになる。それはそれでまた、安楽と言うもの。

まあ、そんなこと、この良い季節に考えつつ、つまりは世は全て何事もなし。この連休とやら、ベンツで出かけようとも、渋滞は避けられません。近くなら自転車のほうが早いかもよ。

さて、ワシは、犬の餌でも買いに行こう。

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