永遠とは今のこと
であるということが、だんだんこの歳になると分かってくるなあ。
というのは、一日一日を大事に生きると言うことは、とどのつまりはその時間が、永遠であって、永遠とはその時間が毎日続くと言うこと。
これはちょっと頭では分かりにくいことだったのだが、今と言う時間が、どんどん流れていく。それがすなわち次々に時間が経過するのであるから、つまりは永遠と言う時間に同じ、ということなのであるよ。
うまく言葉では言いきれないもどかしさあるが、一秒が一生と言ったら、妙なことだが、実感ではどうもそうなのである。ワシはむろん哲学者ではないので、ただのオヤジであるので、ナマイキなことを言ってはならないのであるが、実感であればこれはもう仕方がないこと。
なにしろ、自分の人生は自分で生きるわけだから、誰がなんといっても、これは自分の時間、自分の分かりかた、で良いはず。
それがどうした、ということになると、これまで先へ先へと目標を立てて、生き急いでいたことがなにやらアホに見えるので、それは実にラクチンである。なにしろ、今日一日だけ思うとおりに生きたら良いのであるから、それがもう永遠の生き方であるのであるから、これはもうものすごくラクチンなのである。
だってそうでしょうよ。たいていは明日があると思っているが、なに、明日の朝は起きてこないかもしれないじゃないの。友達で、布団の中でオサラバした人がいるが(これ、ブログで書いたっけ)それをみても良く分かる。
今、大地震が来たらどうなる?予測なんて絶対にできやしない。ワシは常々思っておることの一つは、地震予知なんとかいうもの、あんないい加減なところに税金、使わんと災害対策のほうに税金回せと。
大方は、大地震来たら、逃げようがないぜ。
というわけで、今日一日、一生懸命生きて、煎餅布団に入れたらそれで、オーケーじゃないのかい。
歳を取ると、いいねえ。こういう難しい人生と時間の問題が、なんとなく分かっちまうのだ。正しいかどうか、また、考えが変わるかどうか、それは請合えない。大事なことは今、自分だけはそう実感している、というワガママでよし、ということ。だってそうでしょうよ。自分がそう思うこと以上に、何が正しいと信じればいいのさ。もうこの歳になって。
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