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2009年3月

春耕の季節になった

そろそろ雪も融けて、土を耕す季節がまた巡ってきた。

今年は、ジャガイモを早めに植えることにした。暖かい地方ではすでにイモを植えたであろうが、ワシの行く畑はまだ、朝晩は零下になることがあろうから、これから植えてちょうど良いと思っている。

スーパーやジェイマートではもうとっくに売り出している。それは早過ぎる。去年はそれで失敗した。それで、これから畑に行って種イモを植えようと思っている。本当にぴったりの時期がいつなのか、ど素人の自分流の畑ごっこだから、失敗して当然のようなものだが・・・・。

こうして、その季節になれば、土を耕し、種を播き、苗を植え、手入れをしてささやかながら収穫する。そういう風にして同じような人生がごく穏やかに回っていく。それが一番の幸福なのかもしれない。

人生後半は、もうアラシのようなアップダウンは望まない。今の延長線で、それが少しずつで良いから発展すればよし。だから、農耕作業というのはワシのようなものにとっては、大事なものなのかもしれない。ただ以前よりは、少々しんどくなってきたのであるが。

というわけで、また畑へ行って来よう。多分雪はもう無いと思うが。

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老人ホームの火災から

まるでお寒いニッポンの老人対策が浮かび上がって、ゾッとした。

人生後半にあるものとしては、これはこれは、と思ってしまった。いや、ワシはあの施設長を責める気など毛頭ない。無認可の施設が何百箇所とか言っていつものとおりマスコミは、その施設を責めている。

だが、それはワシに言わせれば全く間違っておる。そうしなければ、救えない老後をもった人たちがたくさんいて、だからこそ、無認可であろうと、施設つくらざるを得なかったのではないか。

むしろ、そういう施設、作ってくれる人たちに感謝しなければなるまいよ。むしろ。特に政府は。

いつ火災が出てもおかしくない、多分狭い部屋に何人も入っているような、食事も満足とも言われず、風呂だって毎日入れますというわけには行かない、そんな施設たくさんあるはず。それだって、ないよりはまし。自治体だって、福祉担当はなんとかして老人をどこかの施設に入れてやらないと・・・という気持ちからやったことだろうよ。

つまりは、お寒いのは施設ではなく、老人福祉行政なのだ。その隙間を狙って、逆に老人施設作って、いわば収容して金儲けする悪人もいるだろう。全くのハナシ、ニッポンはこういう国なのである。誰も本気になって老人福祉なんぞ考えちゃいないのだ。

その一方で、自分達こそ福祉をしっかりやりますと言うふれ込みする政党の党首が、多額の献金、懐に入れて、それでも辞めません・・・・。凄い国だなあ。

一方でワシら年のいったものは、放置される・・・。

いやあまだまだ火災やら、虐待やらのこの手の惨事、続くと思うよ。ワシも自分のことだ、今からなんとか考えておかなくちゃ。

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まさに死闘だったなあ、WBC

ようやく終ったという感じだなあ。

イチローが今回は良くやった。力まずに、弾き返す、特有のうまいバッテイング。ワシが言ったとおり・・・・・?

しかし、欲を言えば、途中でもっと大量得点できたはず。オジさんばかり出さず、もっと若い選手をどんどん起用したらよかったなあ。韓国から見るとなんだか、町内のもと野球少年のオジサンチーム対若者チーム、という感が否めない。まあ、結果よければみんなよしだからグズグズ言うこともないのだが。

なんだか、このニッポンに元気をプレゼントされたような、桜満開・春爛漫と言うような快さであった。スポーツの醍醐味、味わった。

頑張ると言う言葉、苦しい感じがしてあまり好きじゃないが、一生懸命結果を出そうとしたその努力には敬服。

心配していたアホな采配もなく、まあ、めでたしめでたし。次はナンダロウネ、楽しみは。サッカーかい?こりゃあ、まるで期待できないけどね。レベルがあまりにも違い過ぎる。外国の一流チームとは。

横丁のご隠居さんの野球評論はひとまず終わり。

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野球はニッポン、という時代になったのではないか

ここまでようやく勝ち上がってきたんだから、もう明日は、優勝してもらわないと・・・。

国と国との戦いじゃないのだから、負けたって良いようなものだが、しかしなあ、ここまで観戦してきて、選手の顔やら名前やら、プレーの全て、見たからなあ。愛着がわくよ。

しかし、ていねいに、点を取っていく全員野球は、高校野球そのものだなあ。つまりは国民性なのであろうよ。

豪快に一発というのはあまり日本人には合わない感性なのかも知れんなあ。監督がアホナ采配さえしなければ、明日の勝算は十分にある。

しかし、アジアの両国が世界一を狙うとは、野球も変わったもんだなあ。つまりはうまく野球の技を取り入れ、それと同時に国民性をそれに盛り込んだ個性のある野球が完成した、といって良いのではないか。

守りの野球というのはおそらくアメリカ人は好まないのであろうよ。バカスカ打って、ガンガン走る。こういうのが野球というスポーツであるという開放的な国民性。そこにアメリカ野球の人気があったはずだ。

それがなあ、ちまちまとヒット打ったり、打たせないような巧みなピッチングで打線を封じるというのは、多分、面白くないと思うよ。アメリカ人は。

しかしだ、いかなるスポーツも、そのルールの中で勝敗を決するのであれば、あらたな戦略を編み出し、新機軸によって、別の角度を持ったモノに変化することは、これまでのスポーツ史上、当たり前のことであります。

たとえば、スキーの種目、柔道、体操、水泳、陸上競技、サッカー、バレーボール・・・枚挙にいとまがないほど、初めのころのその内容とは大きく変遷してしまったのである。ルールが変わったものさえある。

これからの野球は、アメリカ式のあっけらかんとしたバカスカ打って喜ぶものとは様変わりしてしまうかもしれない。もっと緻密で、策略を用いる集団戦略型ゲームに、である。ところが面白いことに、バレーボールでもそうだったが、ニッポンがやり始めたスタイルで、勝ち続けると、すぐに他国に真似されてしまい、通用しなくなって負けてしまう。そういうことがよくある。

水泳がそうだし、柔道やスキーの種目もそうだった。

野球は、韓国とニッポンがリードする時代になったような気がするなあ。

ともかく、あしたは、また観戦しなくちゃイカン。退職した年金生活者のよさをフルに生かして、テレビのまえで、素人監督をやらねばならん。

それはそうと、大きな声では言うのもコワイが、イチローは・・・・。ちょっとなあ。ヤバイナァ。まるで、打てないぜ、あれじゃあ。最悪の場合、イチロー引退説も出るやもしれん。それを吹き飛ばすような打撃、見せてくれると良いがなあ。

横丁のご隠居さん評論家としては、あのバッテイングでは、もうヒットは打てない、と見る。叩きつけて、ゴロになるか、ポップフライになるか、どちらかである。なぜか。打ち気にはやっていて、力が入りすぎているから。その上、打てていないから、ピッチャーに負ける。それが必ず一球め、ストライク見逃しているのでワカルのである。それで追い込まれる。ますます、焦る。焦るから力が入る。そしてゴロかポップフライ。その悪循環につかまっちまった。そのうちに、本人も、もう自分はダメかも、と思い始める。それがまた悪い方に行く。そんなことをしているうちに、気力が折れてしまう。そこで、決断する・・・・。そういうアスリートの引退パターンにはまりそうだ。

評論家としては、投球しっかりみて、きちんとバットに当てることだけ考え、勝とうとか自分がリードしてなどと思わないことだ。そうすればまた快音が戻るはずだ。うーむ、良い考え方だなあ。解説者に聞かせたいね。そして、イチローに助言してやりたいね。自信をもってただ良い球を素直に振るだけにしなって。(ワシ、職業間違ったかもよ。コーチ、良いかもよ)・・・・アホ・・・・

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物忘れがひどくなってきたなあ

たとえば、テレビで洋画を見ているとき。ああこの俳優、なんていう名前だっけ・・・。うーん。

唸るだけで、思い出せない。この間は、西部劇の名優、あの大俳優・・・。小1時間もしてから思い出した。そ、そうだ、ゲーリー・クーパーじゃん。もうこの俳優が思い出せなくなっちゃあおしまいか。

思い出せない時、やたらに他の俳優の名前が出てくる。チャールトンへストン、アランドロン、シャルルボワイエ、・・・えーと「ここより永遠に」のあの最後に撃たれる男、えーと。「大三の男」は、えーと誰だっけ。「ローマの休日」はわかるよな?えっ、誰だっけ。あのいい男!クソッ、誰だっけ。

つまりめちゃめちゃに名前だけ思い出しても、それがどの映画に出ていたかがわからなくなっている。

女優もむろん、同じ。あの眼のでっかい痩せた女優・・・。誰だっけ。イングリットバーグマン?違う違う、あれは「ガス灯」と「誰がために鐘は鳴る」だ。

「ローマの休日」でオートバイに乗せて貰っていた・・・・そうだ、オードリー・ヘップバーンだった。良かった、思い出せて。

一時、リチャード・ウイドマークが思い出せなくて、往生した。それであまり口惜しいので、カレンダーの隅っこに名前を書いておいたが、それが月が変わってしまうともう破いてしまうからワカラナクなる。渋いと言えばケーリー・グラント。あれも良かったなあ。などなど。こう書いてくるとけっこう思い出しているじゃん。(しかし、なんと言う映画に出ていたっけ。またしてもイライラする種、こしらえちまった)

ま、いいか。こんなもんで。いい年だからなあ。今ハヤリの俳優、ほとんどわからんし。あまりいいと思うような女優もいないしなあ。

春になると、物忘れも一段と加速するような気がして、オソロシイ。

(「大脱走」のオートバイで逃げまくっていた俳優、なんて言ったっけ・・・。思い出すまで今日は眠れない。しまったなあ、このブログ・・・)

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やり直しがきかない歳回り

ということをしみじみと思ったことがあった。

というのは、ワシはある趣味的な団体(けっしてあやしいものではない)に属しているのであるが、そこへ、毎年、かなりの年齢の方が入会してくる。

かなりとはどのくらいかというと、まあ60歳前後。今時、かなりの年齢と言えば80歳くらいになるのかもしれないが、体力勝負のようなところもある会なので。

それで、入ってくる動機が問題なのである。どうせ、人間の集まりだからいろいろなヤツもいるし、行事やら大会やらが巡ってくるし、組織であるから役割分担もせねばならぬ。

つまりは人間社会の縮図である。だから、揉め事もおこるし、気のあわないヤツの一人や二人必ず居る。向こうだって、なんだいい年しやがって、いまから始めるのかよ、なら初年兵に俺が教えてやる、みたいな事だって出てくる。これ、当たり前の話。ニンゲンだもの。

そこで、そのごちゃごちゃに目を奪われて、入会した時の初々しい気持ち、まもなく吹っ飛ぶ。なんだい、こんな会、辞めてやらぁ、になる。

ところが、若ければやり直しはきく。他の会に入ることはいくらでもできる。だが、この年になってまた新たな居場所見つけるのは、容易じゃないのだ。

たまに元気な人もいるが、大抵は、もういいや、になっちまう。「老人の閉じこもり」現象になるか、またはそれまでやっていた第二の趣味的なものに傾く。

というわけで、選択肢はぐっと限られてしまうのである。つまり体力気力と、将来に時間がないということに起因するのである。

ではこういう組織の中でのごちゃごちゃに巻き込まれても何とかその会の中で息をつくにはどうしたらよいか、である。

これは、ワシに限っていいえば、その会に入った目的のうち、自分はこれでいく、という目標を一つでいいから持って置くということである。

絵のサークルだったら、いつかは展覧会に出してやる、とか頭の中にひそかにある絵が描きたい、とか、静かに画布に向かえればいい、とかともかく絵の具で絵を描いていればよいとか、こんなのだっていい、「時間つぶし」。

なにかにターゲットを決めておく。そのほかのことはどうせ趣味の会。ニンゲンだもの、と割り切る。人間関係のごちゃごちゃがあっても、自分だけの目標しっかり思い出して、それに向かっていく。目標以外は適当にあしらっておく。組織からはじき出されない程度に、だ。そういう風にしている。ただしワシの場合は、だ。

何人か、辞めそうになったときにサインを出されたことがある。その時はなんで、急にこんなことするのかな程度にしかわからないのだが、いきなりこれまでありがとう、わたしは会を辞めます、みたいなことを言ってくる。ああそうか、あのときが辞めたかった時なのか、と気づく。そんなことがあって、そのあと会を辞めていったかなりの年齢の人を、何人も知っている。ヘルプだったのだ。ワシには引き止められなかったわけだ。

やはり、残念である。そうして辞めていった人たちは一様に、あまり世間ずれしていないと言うか、ナーバスというか、純というか、周囲のごちゃごちゃに巻き込まれてしまうタイプだった。だからよけいに残念なのである。そういう人こそ残って欲しいのである。

どうせ人間関係など、アホなもので、しばらくすれば、アハハで済むことがほとんどなのだが、思い詰めてしまうのだなあ。だからこそその会で何を求めているのかを、常に鮮明にしておかないと、足元すくわれて転んでしまう。

冷静な時にはこんなえらそうなこと言っちゃって・・・・。ワシかてどうなるかワカランが。

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けっきょくどうでもいいこと

野球だの、政局だのけっきょくはどうでもいいこと。

どこが勝とうが、ワシの人生には大きな差はない。政局もただの市井のジジイが騒ごうとわめこうと、ナンもかわりゃせん。

そう言っちゃおしまいなのだが、やはりこの生活というものは、目先の目刺しがいくらだの、ガス代が高いだのと言って、毎日が終るのだ。

何をどうすればもっともいい生き方なのか、なんぞ全くわかりやしない。誰に訊こうとも、そいつの考えで勝手に思うところをしゃべくっているだけ。100人に訊けば100通りの答えが返って来るだろう。

犯罪者は、真面目な生き方なんぞアホか、といって終わりであろうし、ただひたすら石部金吉で生きている人には、また別の考えがあろうし、あるいはないかもしれない。

じゃあ、いったいどうすりゃぁいいのよ、ということになるが、どうにもならんのよ。自分の人生は自分で勝手に進めるほかはないのよ。

迷惑かけても屁とも思わない奴に、ああだこうだと説教したところでどうなるものでもない。犯罪犯しても構うもんかいという、ラスコリニコフであれば、誰が何を言おうとダメ。

・・・・と言うわけで、ならば、めちゃめちゃな社会になるかと言えばそうならないのが面白いところだな。ちゃんとバランスが取れている。時に戦争が起きたりとんでもない凶悪な犯罪が起こることがあるが、しかし、また平和を求める動きが必ず出てくる。

つまり、ニンゲン様を含めた地球そのものが、ホメオスタシスというか、復元作用というか、そういう調和が常に図られるようになっているらしいな。

だから地球がぶっ壊れることがいつかは来るだろうが、それもまた宇宙の中の摂理みたいな調和から、新たな地球みたいな星が出来上がるのであろうよ。

いやはや、野球のハナシからとんでもないおおきなホラ話にまで発展しちまったわい。

要するに生きていれば、いろいろあって、面白いなあという結論か。要するにそれもどうでもいいことだけど・・・。

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