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2009年2月

騙されるなよ、人生後半

家にいると、電話がかかってくる。一戸建てマンション買わないか、墓は要らないか、ゴールドの先物取引はどうだ、そして、出版しないか。昨日掛かってきた電話は、光フレッツにしないか。(プリントしたものを見せてくれ、それで他社と比較するから、といったらファックスで送られてきたが、字が細かくて見えない)

ともかく、ワシらは狙われているなあ。振り込め詐欺まがいの電話もかかってきたことがある。大抵は子どもを餌に使ってくる。

親は子どもに弱いから、ついふらふらと可哀相になって振り込んじまう。もう家から出た子どもなんぞいわゆるガキじゃないんだから、どんな人生送ろうと勝手。早い話が野垂れ死にしようと逆に億万長者になろうと構うことじゃないのに、世間の親は哀れなり。

そこに付け込むという、なんともいやらしい犯罪。むろんワシは引っ掛からないが。

騙されまいという構えで老年、送るとはまことにヒドイ世の中になっちまったもんだ。

先日、趣味の会の用事で、何人かの家に電話しなければならなくなり、電話したところ、かなり防衛の構え、働いてきたなあと感じ入った。例えばー

電話すると、「・・・・」何も言わない。以前なら、「○○です」と電話口ですぐに応えてくれたものだが。

それでワシの方から「あのう、○○さんのお宅でしょうか」と確認する。すると、まことに不興な声色で「そうだけど、アンタ誰?」とつっけんどんな返事。

それでまた「あのう□□会の△△と申しますが、○○○子さん、いらっしゃいますか」と言わざるを得ない。またしても暗く低い不興げな声で、かなり年輩と思われる亭主の声。

「いるけど、何の用?」とこのへんでワシは、ハハア、こっちを疑っているな、と感づく。

「実はナニナニのことで・・・・」と用事を告げる。「あ、そう。もう一度おたく、名前言って」とまだ疑いは晴れていない声。そうして、電話持ったまま(と思われる)「おーい、△△と言う人、知っているか」と聞こえよがしに叫ぶ。

ワシはもうこの辺で嫌気がさす。なんだよこのオヤジ!!せっかく会の大事な用事、伝えてやろうとして嫌々ながら電話しているのによ。ッタク!!とむかむかするうちに、当の会員がやっと電話口に出る。

もうこんなふうな老人家庭が増えてきているなあ。しょうがないんだろうなあ。ッタク・・・・。

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人生後半などというものはないという

考え方がある。

これには少し驚いた。

というのは、人間の命というものは、どこで区切るということはできない、と。

たしかに生まれる前におろされる人間?もいるし、幼くして亡くなる子どもも多い。また平均年齢まで生きたらそれでイイ、というがだらだらと生きてもなあ、ということがある。そのくらいなら、若くても燃え尽きるというほうがええよ、と言う人だっているだろうし。

つまりは命というものが、ワシらの「思い」で何とかなるものじゃなし、だいいちこんなふうに人生を送ろうと思ってそれから生まれてきたという人間は一人もおらん。

ということは、命という不思議なものを授かってきたのであれば、人生後半だの前半だのあれこれワシらの「思い」でどうこう扱うということ自体がアホである、と。

もう貰ったものだからそのままでいいじゃん、ごちゃごちゃいうな。言う資格なんぞないぞよ、ということ。

なるほど、そうだなあ、と。(今日は、と、で終る文が多いな)

しかしこれを心底納得するにはかなり修行が必要だぜ。やっぱ、今ここまで生きて嬉しいなあとか、もっと生きたい。せめて平均寿命まで生きたらなあ、とか思うぜフツウ。

ワシも小胆の見本みたいな男なので、もっとうまいモン食いたいし、行って見たい所もあるし、ライフワーク、とかっこよくいえるものに、半歩でも近付きたいとも思うし、と。

だから、人生後半という言葉、もう少し使いまひょ。これも人間、ということで。

ところで、この寒い日々。痩せた畑はどうなっておるか。猫の便所になっておらんか、玉葱は、頑張っておるか。燃料代ただの廃材を燃やす薪ストーブで暖まりつつ人生後半の数日、ボケッとしてきまひょ、と。どうせどうちにいても、ボケッとしておるのであるが。と。

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