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2008年12月

なんやかや言いつつ今年も

終る。早いようだが、よくよく振り返ってみると、けっこう事件があった。我が家的にも、だ。

人生いろいろあることは承知の上ではあるが、どんな問題でも、直面すればそれはそれなりに、おおきな衝撃である。

風邪ひとつ引いても、親鸞聖人でさえ、なんだか心細くなるという意味のことを歎異抄でも言われておる。

ワシは、困った時には易を自己流で立てて、その卦を見ることがある。どうにも解決の糸口が見つけられないときだ。そんなのは迷信であるというのは、あまりにもガクがなさ過ぎるとワシは、偏見で断言するものである。

易というのは、その内容をそのまま直に読んだら、何も得られない。そこから自分の直面する問題の解決の糸口を、読み取るのである。ワシは易者ではないから、いい加減なことを言っているのであるが、そういう風にしてワシは、易を立てる。

これまでずいぶんと見通しがついたことがあるし、良くない解釈が、ドンピシャリ当たっちまったこともあった。鳥肌が立つほどだった。

まあそれはワシだけの内奥のことだから、他人に言っても始まらぬ。

夢判断もワシはよくやる。それもまことにいい加減な自己流である。しかし、近頃は見た夢の解釈がだんだんワカル、というか、いくつかのパターンに分けられるようになり、これはただ自分の内部のコンプレックスが出ただけ、とか、感情的な色合いが出ただけ、とか、あるいはややモンダイアリだな、とか。

モンダイアリの中には、行動や言葉使いに注意だ、と知らせてくれるようなものもある。そういうときには、意識的に安全策を取るようにしているが、そのせいか、安全策をとってよかったという結果が何度かあった。

ま、これもワシの内奥のこと。他人に言えば、アホクサ、と哂われるのみなので、誰にも言わずに夢日記に記しておく。

そんなことより、日本は景気が悪くなったというが、本当なのか。どうもワシとしてはアヤシイと思うのだ。そりゃあ解雇される人がいるのはわかるが、一部の企業だけのようだなあ。人が足りない店やら、職種やらあるぜ。偏っているなあ、不景気が。

ある一定の水準以上のカネモチには、影響ないと思っておる。そういう連中は、そっちの方ではワルだからなあ。市場に回っている金の全体量は変わらないのだから、どこかに偏って、ゴマンと金貨銀貨がうなっておるのに違いないのだ。

大企業だって、ほんとうにアブナイのかどうか、わからんよ。現にアメリカの自動車メーカーの救済策、議会や国民は冷静に見ていて、潰れちまえばいい、なんか思っているそうじゃないか。儲け方のうまい連中だからなあ、ということ、わかっているのだ。

だから、ワシが前にも言ったように、自分で自分の生きかた探して、いつでも切られる身分のままそんなところにしがみついていないで、方向変えるチャンスと頑張った方がええ。

会社の悪口言って、前と同じ条件で雇え、と言ったところで、蛙の面にションベン。なんせ自分の会社が儲かっていさえすりゃあええ。すこし傾きかけたら、社員の弱いところから整理すりゃあええ・・・・。そんなもんよ。自由主義経済の会社って。

もし、自分が経営者だったらどうする?そうでしょ、ヤッパ、整理するでしょうが。そうして自分の身を守るでしょうが。

だから、そういうもん、と見切った方がいいのだ。これからだって、景気が回復すれば、また非正規雇用者、雇うに違いないのだ。だってそういう仕組みによって、会社は安全弁をこしらえているのであるから。

だから、本気になって権利を主張するなら、数で、圧倒して、どうしても意見を通さないと会社そのものが根幹から潰れる、そういう風にもって行かない限り、絶対にナメラレル。それはもうこの社会の論理。

つまり、自己をしっかりさせないととんでもないことになる、そういう風になっておる。振り込め詐欺もまだまだ、続く。どんな凶悪な犯罪もこれからもどんどん続く。ますます、人心は荒廃する。だからこそ、自分の生きかたをときには見直して、人生を大事にしなければヤバイのよ。取り返しのつかないことってあるんだぜ、このニッポンには。こういう国になっちまったのさ。

虎視眈々と、少しでも弱いところが狙われる。弱い人間は、カネを巧妙に巻き上げられる。借金地獄に落すのなぞわけはない。落とされてもまだ、世間が悪いだの、犬をコロサレタからいけないだの、親がアホだったからこんなボクになっちまっただのと、ワメク。誰でも同じ境遇になって、おなじように落ちるとは限らないのに。つまりはアンタがアホだったんや。そこから出発するっきゃない。ホント、厳しいようだが、成功するも失敗するもすべて自己責任なのさ。ガンバレ!!

とかなんとか言っているうちに、歳末。ワシは今年も紅白歌合戦などあんな歌手の名前もわからんアホ番組、絶対に見ないが、初詣はする。年が改まって、今年こそは、と願を掛ける。いいものである。どうせ三日坊主でも良い。一瞬だけでも、おめでたい気持ち、味わいたい。

静かに静かに、歳末と正月が迎えられたらいい。

ということで、なんやら分からん内に、このブログもことしの最終号とさせていただく。暮れから正月は、休刊。悩み事もお休み。電話もお断り。訪問者もむろんお断り。義母が亡くなったので、年賀状も新年の挨拶も、なし。そういうことで冬ごもりだ。

数少ない貴重な読者の皆様。人生後半のオヤジの愚痴、聞いて頂きありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。ではまた来年まで、さらば!!

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運否天賦は世の習い

これは吾が母の口癖であった。

うんぷてんぷ、という。母親というものは偉いもので、さんざん苦労してワシらガキどもを、赤貧の中、それに戦争中に育ててくれたのである。もがいてもダメさ、結局は天が決めることだよ、という。

それにはやはりモガクという生活実態があって、それでその後で、うまく行くこともあれば、どうしてもできなかったこともあった。しかし、そのモガキのお陰で、こういうふうな、明るい諦念に達する、そういうことを教えてくれたようなきがするなあ。

だが、若いころは、なんもワカランで、このカアチャン何言ってるんだ?で終っていたのだが、オッカサンのこのコトバを言っていた歳に近付くにつれて、だんだんわかってくる。

十代の娘っこが田舎から上京してきて一人暮らし。そうして大震災。さらに誰もがそうだったが戦後の混乱期。赤貧洗うが如しで、まるで食うものもなく、サツマイモ一本がその日の食事なんてこと、今じゃ考えられないが、実際あったのだ。

消防署の前で、街の衆が列を作って並んでいる。そうして芋俵から出されたサツマイモ何本か配給されて、持って帰ったのを鮮明に覚えている。それだけ腹が減っていたのであろうよ。

その後、やっとなんとか食える時代になったと思ったら、とんでもない大不景気がやってきた。なべ底景気と言ったっけ。そこでまたしても今度は我が家だけ、倒産してしまった。まだ子どもだったから、やはり空腹に責められた。

ワシの母親はトウにこの世にいないが、亡くなる頃に、ワシにこう言ったもんだ。

「あの貧乏の時にはもうお前達を、生かせておけないと思ったモンだよ」と。これを聞いてホントウニ凄まじい貧乏だったのだ、とあらためて当時を振り返り、そうしてその時によくぞ思いとどまってくれた、と感謝したな。決行していれば今頃はこの世にはいないのである。

どんなに頑張ってもうまくいないときには、それは天の采配と思え、とは、奥の深いコトバである。神は我を試したもう、という言葉があったように思うが、それに通ずる意味も汲み取れるのである。

そうやって、ようするにその場を凌いで生きていく、それは苦労人の生き残る知恵だろうな。苦労人にはもうこのコトバ以上の格言などナキニ等しいではないか。

コトバが先にあって、それに励まされて生きつづけるというようなものではなく、おそらく自分の境涯をつぶさに味わった時に出会ったコトバ、あとからそうか、こういう言葉がぴったりだなあ、と。自分の中に響くものがなければ、感受されないはず。

いやあ年の瀬って、なかなか渋いことを思わせるものだなあ。シミジミ・・・。

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図書館は人生後半組で一杯だ

久しぶりに図書館へ行く。

まずは新聞雑誌閲覧コーナーの込んでいること。ほとんどがワシらの年代。それも男が多い。

丁寧に各新聞を読み比べているのだろうか。こういうところでしっかりと情報キャッチして、刺激を受けられたらそれはそれで大いにいいことじゃないのか。そのために図書館はある。雑誌もいろいろ取り揃えられているから、あれこれ読んでいたら半日ぐらいすぐに経つ。

ワシも小説やら、ナマイキに哲学書やら借りて帰ってきたが、途中、信号で待っていたら、知り合いのオジイサンに出会った。

「こんにちは」といったが、うつろな眼。手にはスーパーのレジ袋を持っている。

気づかないのかと思って「○○さん、私ですよ。□□ですよ」と間近で声をかけると「ああ、どうも」と気のない返事。まもなく交差点を渡っていった。

その口調ではどうもワシのことはわからなかったようだ。しばらく会っていないうちに、モノ忘れがひどくなったのか、それとも認知症にでも・・・・と疑われるような状態だった。

せめて図書館で新聞でもいい、読んでいれば少しは脳味噌の老化も遅らせることできるかも知れぬ、そう思って、これからもせっせと図書館通い、しようと・・・・・。

ともかくナンモしないでボーっとしているのがもっとも良くないのではないか。

しかし、考えようによっては、はやく世界のこと周囲のことがわからなくなった方が、幸せかもしれん。いやいやいかんいかん。まだまだ弱気になってはいかん。じっくりと難解な哲学書、この休暇の間に(年末年始の休館日)読み込んでみよう。メンドウクセェ、とだらだらジジイになったら、これはもう一気に末期高齢者に転がり落ちるのは、火を見るより明らか。

フツウに生きるのもラクじぇねぇよ。ったく。

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暇つぶしかライフワークか

しだいに分かれ道にさしかかってくる。

それは主に体力の衰えから来る。何をやっていても、それが自分にとってはナンなのか。たとえば、焼き物に凝っていたとする。粘土を捏ねている時に、その作品が高く売れるようなものにしたいとか、作品展に出して高い評価がえられたら・・・とかあるいは、陶芸家と呼ばれるような段階まで行きたい、とかの、目標はライフワークとしてとらえて良いだろう。

しかし、粘土捏ねるのも力が要るようになる。出品するにも、車で不案内の繁華街まで搬入しなければならない。あるいは、展覧会の当番を一日、やらないといけない、などなど。

それらがもうイヤになってきたり、あるいは、とても体がついていけない、スケジュール立てるのも面倒くさい。会の仲間との交流がかったるい・・・・などと不満やら、愚痴やらが出始めると、「もういいか、このヘンで」になり、ただの暇つぶしに粘土細工、してりゃいい。テレビ見て、ウダウダ家の中にいるよりいいや、になると、それはもうライフワークではなく、隠居の暇つぶしとなる。

その境目に立たされるのが人生後半の、営為である。

どちらが良いとも言えない。だらだらと趣味的なことをやるのだって、まあボケ防止には多少なるであろうし、ナンヤカヤの家庭内のゴタゴタから眼をそらすことも一時的にはできる。何よりも家の中で邪魔者扱いされるよりはマシ。

こうしてワシらは、誰かが邪魔者扱いしているというわけでもないのに、ホンの少しずつ片隅に追いやられていく。

頑張れば良いじゃん、というのは外野の声。本人にしてみれば、じりじりと老いの坂をくだっているという実感的な悲哀は、ただ頑張ればいいというレベルではないことを、ひしひしと肌に感じているのである。

つまり昔から言うところの「無常」の風に吹かれる、というヤツである。

歳の暮れになるとその無常観がますます深まっていく。しかし、そこに、深い陰影というか、渋さというか、墨絵の美というかそういう風なものへと、人生観?が変わっていくようである。だからそれはソレデイイノダ。

暇つぶしの功名というものだってあるということ。

ワシとしては、「いつまでも若々しく現役バリバリで・・・」というヘンに元気でテラテラ顔のオヤジよりも、こういう風格のあるオヤジのほうが好感がもてるがなあ。ワシは、まだまだフラフラしているだけであるが。

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筋トレはワシらの年代では

どんな効果が期待できるのか。これはかなり興味のあること。

というのも、ワシら日々に筋肉の衰え、感じているからである。ただ筋肉マンになってもそれは何の意味もないことで、自己愛以外のなにものでもないので、それはただの趣味ということになろうが、階段が上がれない、ちょっとした段差でつまづいて転んだ、あるいはすぐ近くのスーパーにもかったるくてイカレナイ、などの障害が出て来れば、それはもう筋トレを考えなければなるまい。

だが、問題は筋トレのための準備的な筋トレを要するという、そういう衰え方になっておるということ。

だから、筋トレで筋肉を痛める、それで結局以前よりもずっと、歩くのがかったるくなる、敷居の高さでもつっかえる、という結果になれば、それは筋トレ阿呆ということになる。

若者が、毎日鍛えるとすれば、もはや一週間に1,2度で、しかも短時間に軽く行うこと、そういうことになっていく。

ワシもいい気になって、毎日メニュー作って、ヒイヒイ言いつつ、こなしたところ、やはり背中から首筋、手足の筋肉、くたくたになり、風呂屋のマッサージ器に何度もかかるしまつ。

それでも頭痛が取れないとか、背中の痛みが芯にまで達していて、前より猫背になったりしている。

これではいけない。やはり、ある程度のセーブが必要であろう。

まあ、一般的には、町を歩いていて転ばない程度。トイレに座って、立ち上がれる程度。台所で食事をつくる時間、立っていられる。この程度のことができたら、ワシらの年代、よしとしていいのかもしれん。

だが、それ以上に、もっと頑張りたい、まだまだ負けやせん、などと気負う。年寄りの冷や水であるが、しかしそのくらいの勢いがなければ、すぐにお迎えが来るぜよ。

今、ワシは、程度を加減しつつ、翌日に筋肉痛が残らない程度の筋トレ、試行しつつある。効果の結果がわかったらまた報告しよう。

それまでに、過労で潰れたら、元も子もないのであるが。

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日帰り温泉でのバアチャン達の会話

「「近頃、こんな風呂があちこちにできてよ。どこ入っていいんだかわかんねえなあ」

「そうさよ、この間よ、孫がばあちゃん温泉プールさ、連れて行ってくれっちゅうもんだからよ、行ったがよ。プールに温泉の湯がへえっているんだなあ。すげえなあ」

「そりゃぁ、プールなのかい。温泉なのかい」

「さあなあ。どっちでもいいんじゃねえかい。自分は海水着着て入ったがよ」

「まだ、そんなモン、持ってだかや」

「いやあ、しょうがねえべよ。孫から言われてよ。へえったけんど、泳ぐことができねえからよ、肩まで浸かってじっとしていただけんど」

「そうだなあ。温泉ってえ名前がついているだから、それでもいいはずだなあ」

「チット前までニュースになったラジオ菌だけんど、ありゃあ今はどうなってるんだ」

「ラジオ菌じゃねえべ。ネジレ菌じゃなかったかい」

「いやあ、ラジオネジレ菌だべ」(ほんとうはナンだっけ??ワシも忘れた)

こんなハナシを、大休憩室!の畳にひっくり返って聞いていると、昨日までの土起こしの節々の痛みも消えてしまう。

不景気で何万人もの失業者がでるという暗いニュースは、田舎のこのオバアチャン達には届かないに違いない。オバアチャン達に届くようになったら、ニッポンは完全に沈没だ。農村のしたたかな強さには相変わらず舌を巻く。

そろそろ、ワシの畑仕事も先が見えてきたように思う。一畝耕すだけでひいひい言ってしまう。それでも玉葱100本、植えてきた。何本残るかワカランが。

帰りに、安売りの野菜屋をみてみたら、大きなネットに玉葱がごっそり入って200円!!と書いてあった。がっくりだ。

農薬入りでもなんでもいいから、安くて口に入るものを食べちまおう、そう思ってしまう。自作はきついでえ。見ていると、温泉に入ったオバアチャンたちは次の日はもう、朝早くからホッカムリして、寒い畑に出ているのである。

このオバアチャン達がいる間は、ニッポンも大丈夫。そんな気がしてくるのであった。

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