ワシの情報源、タカが知れているが
やはり、仕事からはリタイアした身であれば、テレビ、ラジオ、本、井戸端会議くらい。しかし、頭はこれでもくるくる回しているつもり。
先日テレビで、年輩の(83歳だったか)尼僧をインタビューしていた。その中で、おもろいなあ、と思ったこと。
ある人から人生相談を受けた。「シニタイ」という。それでそのお坊さん(尼僧もお坊さんでいいのか?)
「あんじょう、死にや」と応えた。すると、その相談者「あんた、宗教家のクセに、命を助けるのが仕事でしょう」と開きなおった。
「自分の命や、死にたければ死んだらよろしい」と応える。そうして「どうせいつかは誰でも必ず死ねるんや、安心してよろし。急いで死なんでも、それまで一生懸命生きたらいいじゃないか」と。
ワシもなるほど、そうだなあと納得。それなのに、自分だけ不幸の塊みたいに思って、やけくそになり、自分だけ自分のしまつすればいいのに、他人を巻き込んで一緒に苦しませようとする。そういうヤツが多過ぎるなあ。何で、人を巻き込むのか。お前は、お前の命。好きにしたらイイジャナイか。人生、どう考え、どう生きていこうと、つまり、向上しようと、転落しようと、アンタのせい。他人に迷惑かけなさんな。
だが、転落といっても本当はどこにも転落していないのだが。それがわからない。金持ちにならないと不合格、社会的地位が上らないと不合格、病気が治らないと不合格・・・・。ようするに欲しい惜しいが手に入らないと、ふてくされ、他人のせいにする。
これを地獄と言う。いつまでたっても、どこまでいっても、安心できない。ただただ怨みつらみの連続。自分の人生は自分でナントカせにゃイカン、ということがどうしてもわからないのである。
これってどういうこと?貧乏でも意気軒昂と生きられるし、先ほどの尼僧、片手が不自由。それでかえって、生きていることがありがたいという。こういう生き方だってある。あと20年も生きられると言っておった。
ワシら、めげると、ヒネクレル。自分以外のものが全てエラソウに見える。だが、心の中を見ればエラソウな人も、まるでグチャグチャだったりする。
この辺が、冷静に見られるとけっこうラクになるのだが。なかなかどうして、自分だけは・・・と幸せかき集めたい。人間の我執だなあ。
テレビで見たぐらいでは、なんもワカランと思うが、しかし、ふっと生き方で煮詰まった時に抜け道があるということがわかるだけでもいい。
どうやら一生、修行だなあ。
その尼僧こうも言っておった。「オトコも好きやし、ステーキが大好きや」と。うーっむ。達人であるなあ。
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