ワシ流の秘伝にしちまう

武道のようなものを30年以上やっているのだが、これまでやってきたことがどうも思うようにうまく行かない部分が出てきた。

おかしい、と思い、他の流儀の本を調べてみた。すると、ワシがこれまでやってきた方法とはまるで違う方法が書いてあるではないか。

たとえば柔道で言うとすれば、小外狩りは、内股と同じ方法で技を掛ければよい、みたいな。(柔道は知らないのでイイカゲンであるが)

ともかく、えっ?それでいいの?みたいなことが書いてある。

それで、その信じられないような技をやってみると、これがまた見事に決まったのである。

それで、こいつはなんだ!ということになり、ネットも使ってあれこれと調べてみると、それからそれへと、流儀の違いが、分かってきた。

つまり、歴史的に複雑な時代の変遷と絡み合って、流儀というものはでき上がってくるものであり、自分が正しいと思ってやっていることは、そういう一つの流儀に過ぎないということ。それが一つの流れであるということに、つまり、ある技なら技というものが、一段と高いところから俯瞰できたということになる。

思うに、今、行われている日本のさまざまな武道、古式なになに流、お茶やらお花やらとかいうさまざまな運動は、多くの紆余曲折を経て出来上がっているということ、に今更ながら眼を開かされたわけである。

ところで、なぜそんな単純なことが今まで分からなかったのか。それは、最初に習った人の教えが、そうだったから、ということに尽きる。それが悪かったということではなく、自分的に、それが行き詰ったので、ようやく他に眼が向けられることになった、という次第。

だから、何がいいかということは、紆余曲折、苦労しなければワカラン、という結論。当たり前だが。

ここから、初めて自分なりに一人歩きすることになるわけである。

昔から伝わってきたナントカ流といわれるもの、家元があって、宗家がいて、師範がいて・・・というものは、それぞれが秘伝とか口伝とかいうもので、門外不出を守ってきたために、今でもその真髄は分からないところが多いのである。

それらが、お互いに、ひそかに守り続けてきたので、お互いの流儀がどうも良く分からない。だから、その中のどれか一つを学ぶとすると、向こうのことはわからないままで何十年とそれを続けることになる。この開かれた世の中と言えども、である。

そこには代々の流派が頑固に守りを固めている。であるから、ある程度、進んでくると、個人的にはどうもこのところがこれまでの流儀ではうまく行かないが、というところが出てきても、解決できない。他の流儀で行けば、簡単に、なんだ、こんなことかい、というようなことでも、だ。つまり隘路である。

では、他の流儀を調べてそれを自分でやればいいではないか、ということになりそうであるが、それがまた簡単にはそうはいかないのである。

あいつは、ナニナニ流のやり方で、やっている、不届きものである!!になっちまう。この時代でも、だ。最近、ワシは他の流儀の人からその伝書のような非売品を借りてきたが、彼曰く「アンタと同じ流派の考えの人には見せないでくれ」と。争いになる、というのである。師範同士が大喧嘩をしたという話をしてくれた。

こうして、伝統の流儀は守られ続けると同時に、不合理も引き継がれるということになる。すると、それをむりやり守り抜こうとするものだから、権威付けが必要になる。

ワシらの方は、将軍家のナニナニである、とか、御前試合で勝ったのはワシの方じゃ、とかいうことになる。つまりは意地の張り合いである。だから非売品やら秘伝やらあるいは口伝やらで、ひそかに密かに伝えられる。

もっとザックバランに、オープンに開いちまえば、良いとこ取りで、すばらしいものができると思うのであるが、こういう考え方は実に危険思想なのである。なぜなら自分たちの祖先から必死に守り続けてきた流派が破産するからである。家元は倒産するのである。

イヤア、難しいものであるなあ。この伝統のナニナニ流というもの。

ワシかい?ワシはもう先がそんなにないから、他の流儀も取り入れて、要するに良いとこ取りにして、しかもそれが見えないようにうまくやっつけようと思っておる。ズルイ!

おそらくこれまでのナニナニ流も、こうして少しずつ改変されてきたはずであって、そうでなければ、まったくの不合理、ナンセンスだけの博物館行きのしろものと成り果てていたに違いない。研究工夫は、どの流派でもこれも密かに行われて来たに違いない。たぶん、他の流儀も、こっそり盗んでいたと思うよ。

ワシはワシ流でいく。納得できなければ、そのやり方、分からんように捨てます。なに、どうって言うことはない。分かったからといって異端者、ヒネクレ者で通せばいいのであります。もう後はないからね。独行でいきます。誰かが評価するかも知れん。慧眼の士がみれば高い評価をしてくれる、としておこう。

ワシ流を秘伝にしちまう、という密かな楽しみもあるし・・・。ふふふ。

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なんだろうね、犯罪に巻き込まれる近頃の男は

事情は本人でなければわからんが、ニュースで見る限り、次々に女に騙される?男達。むりやりクスリのまされたり、給料前借されたりして、挙句の果てに、あの世に送られる・・・。

女の方が凄いのか、それとも男たちが、キョウビは、軟弱になっちまったのか。ワシにはとてもワカラン。

無理やりクスリ飲まされそうになったら、「何しやがる!!バカタレ」ぐらいは言ってもいいんじゃないのかい。むろん、飲まされやしない。

給料前借されたら、「おまえ、俺の給料、どうするつもりだ!!返せっ」と怒鳴ったりしないのかい。第一、会社にそんな女が来たら、上司に給料渡さないでくれ、と言えないのかい。

何千万円もみついだ、という老人もおったが、何で??そんなに口がうまいのかい、そういう詐欺女って。

その挙句の果てに、あの世に送られちまう。なんだろうね、犯罪に巻き込まれる近頃の男は。もっとしっかりせんかい。

そんなに女がいないとダメなのかい?ひとりじゃサビシイ?まあそれはワカランでもないが。このご時世、ひとりポッチの男が多いからねぇ。うちに帰ってもだれもいない。ひとりでコンビニ弁当食べて、万年床に入ってテレビ見ながら寝ちまう。そうか、サビシイのか。だが、そういう生活がサビシイのではなく、そういう男が、男としてサビシイのである。

仕事もそこそこしておる人たちばかりみたいだし、晩年にお金貯めていた人もいたようだし、まあ外見的には、しっかりしている人たちだったのではないかと。

現代人の、孤独ですか?

だがねえ、孤独はこれはもう男の勲章みたいなものであって・・・。(エラソウに)寒かったら、コートの衿たてて、夜の街、ほっつき歩くのだってけっこうサマになるはず。ひとりポッチって、けっこうかっこいいものなのだ。

自分なりの生き方模索しながら、じっと耐えて生きる。仕事は当たり前にこなしつつ、寄って来る女横目に身ながら、我が人生考える。かっこいいじゃないか、そういう男。

渋くて深みのあるいい男になる。そういう絶好のチャンスなのだ、孤独な時代は。

ヘンに寄って来る女に、ロクナもんはおらん。もっと矜持というもの、欲しいと思うなあ。

と、イキガッテみるが・・・。どう考えても、男が弱っているなあ、キョウビ。男の野生がどうも弱っておる。腑抜けになっておる。独立しておらん。女など蹴散らしていく、という気概がないと、ダメじゃ。そういう野生が本当は、女を引き付けるはず・・・・なのだが、今の女はどうも騙されやすい男を狙って、金を巻き上げようとする。

男女同権もけっこうだが、男には男としての生き方があると思うのだが。

こういうのはもう古いか。ワシは古くてもいいから、ヒネクレテ、突っ張って生きたいね。もう人生後半、これまで生きた以上の歳、生きられるわけじゃなし。

というわけで、あらためてワシは、自分の古ぼけた人生観もまんざら捨てたもんじゃない、と、思った次第でありました。

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いつまで続く穏やかな日々

このところ、暖かく、穏やかな日々が続いている。北の方ではもう、冬そのものになっていると思うが・・・。

こういう穏やかな日々を過ごしていると、なんだか、却ってこれでいいのかニッポンみたいな、ヘンな不安感もよぎるものである。

そこで、ワシはこんなヘンな句をまた作ってしまったのだ。

 日向ぼこする濡れ縁もない我等

この句を解釈すれば、ツマランことになるのだが、我等、はワシらと読み変えてよい。ワシらのこの歳周りのものは、と言う風に理解すると、グンと分かっていただけよう。

濡れ縁は、若い人たちには、ワカランと思うが、掃き出しの外に、つくる縁側と思えばよい。縁側、掃き出し、ともに分からないか・・・。

では縁台、というのは分かるだろうか。昔の絵などに出てくる夕涼み。オジサン達が将棋盤を囲んでいる。坐っているのが縁台である。今の椅子とも違うが、ただ長い木の台であって、そこに・・・・こんなこと説明するのも面倒くさいなあ。

ともかく、今は、濡れ縁と言うものもなくなっちまって。もう面倒なのだ、俳句の解釈と言うものは。そうして説明すればするほど、色あせてくる。つまらなくなっちまう。

感じたままでいい、というところに落ち着くのである。

さてさて、小春日和というのは今日のような日のことでして・・・。ワシは小春日和といえば、すぐにこの句を思い出す。けだし、名句である。ワシの句と比べればはっきりする。

 玉の如き小春日和を授かりし  (たかし)

この玉の如き、がいいし、なんといっても「授かりし」、が凄い。ワシら何でも自分で手に入れられると思っているが、トンでもねぇ。デカイこというな、今日みたいな小春日和が人間の力で何とかなるものか。授かるしかない。ハハァ、と平伏するばかりだ。

こういう日の感想、ピタッと言い当てる俳句。なんにでも名人というものはいらっしゃるのである。

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ファイターズ負けた要因素人分析

負けた要因は、ワシの路地裏分析では、二つある。

一つは、貫禄負け。どうもジャイアンツという名前に負けている感じがする。ビビルのである。それがちらちらと見える。

二つ目は、勝ちを急いだこと。ジャイアンツは昨日負けてもまだ、試合はあるという余裕が感じられたが、ファイターズは、絶対に勝ちたい、という欲が出すぎて、ガチガチに硬くなっている。あれでは打てない。肝心なところに来ると、三振したり、ポップフライになる。勝ちを急いだからである。

この二つの要因は、どうしようもないと言うような、難しいことではなく、監督やコーチが、もっと余裕をもって、選手をリードしてやれば、乗り越えられたと思うのである。

球団が一体となって、勝ちたい症候群にはまってしまった。その典型的な一例が、最後の打者の最後の空振り。あんなボールを思い切り振ってしまうのである。

でもまあいいか。ファンをどきどきさせたし、もしかして北海道に日本一が、という夢を抱かせてくれたし・・・・。

選手は緊張の極にあったろうが、もう少し、肝心なところでヒットが出ないものかと、見ているほうがイライラする。

思うに、高校野球の「無心で」という得意のフレーズ。あれって、なかなか大事な言葉かもしれん。ともかくふだんの力出せば、全く互角だったのに、と惜しまれる。

ま、こんなところかな。素人野球評論家としては。

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faita-zu

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ノンビリしたものだ、田舎の夫婦

田舎の友人が、と言っても、勤め人であるが、稲作を始めたという話、ブログでも書いたようなきがするが、その人が、今年初めて収穫したといっていた。

4人で畑を借りて収穫までこぎつけたという。どれぐらい獲れた?と聞くと、400キロという。これを4人で分けたので、一軒当たり100キロ。まあ、夫婦二人でなら1年間は食べられる、と嬉しそうであった。

籾のままで保存しておき、すこしずつ精米していくという。いいじゃないの、そういう食生活。

大根がたくさんできてさあ、とこれもまた嬉しそうであった。夏の畑には、トマトもできていた。若夫婦だけの生活であるから、10本もあれば、毎日食べられる。

米あり、野菜ありで、自給自足ができそうである。ただ肉類やら海草などは買わないとダメであるが。

勤めといってもユルイところらしく、よく休んでいるが、休みの時には、近くの山へ行ったり、家の周りの大工仕事などしている。スローライフとでも言うのだろうか。なにか大きな仕事でもしてやろうという意気込みは全く感じられない。なんだろう、自分の好きなことを、入るだけのカネで賄っていく、というような考え方らしい。奥さんもアルバイトのような身分ですと言いつつ、働いているが、同じような考え方である。

都会に出て行くととにかく疲れます、と言う。もともとは東京のデパートに勤めていたのである。面白い夫婦である。子どもはいない。なにか人生設計に考えがあるのだろう。ワシも子どものことは聞かないようにしている。

ところが、瀟洒なログハウスに入ってみると、中には、最新式の?あるいは高価な?ステレオ装置があり、洒落たジャズなど流している。車も、ワシはワカランが、英国の小さく赤い方には、奥さんが、旦那さんは、トラックみたいな、4厘駆動の凄いのに乗っている。

アルコールはワインと来る。なかなか自分流である。こうして都会のガチャガチャした生活から離れて優雅に暮らしている、ように見える。

しかし、少し話してみると、「江戸時代の平均寿命はもう自分の歳と同じです」とややニヒルである。大病を抱えているらしいのである。

まあこんな風に生きるのも、これまた人生であろう。ワシの若いときだったら、こういう生活は最後にとって置くぐらいで、やはり仕事で活躍?したほうがいいと思っておった、ような気がする。が、もう忘れてきたなあ。

ところでワシの鼠の額!!ほどの畑のサツマイモ、まあいいほうだろう。さっそく落葉を焚く時にアルミホイルで巻いて、食した。とりたてであるから、やや水っぽいが、まあこんなもんだ。

ニンジンが良く出来た。なぜかはワカラン。そして、玉葱の苗、100本、植えた。500円である。安いのか高いのかはワカラン。またできるか否かもワカラン。できれば食する、只それだけである。近所の農家のオジサンも、3束ほど買っておった。

それと、渋柿。皮を剥いて、吊るし柿にする。これも野菜売り場では、あっという間に売り切れちまう。甘くなるまでの間が、嬉しい。

そんなこんなで、数日だらだらと過ごしたのである。また一日、温泉に入ったのであるが、最近はバスで、団体が都会から乗り込んでくる。これには参る。あっという間に湯舟がジジイであふれる。女湯の方がもっと凄いらしい。団体で動くのはオバン優勢。どこへいってもカナワン。

ときには、こういう政治やら事件やらから隔絶された世界で、(なにしろテレビも新聞もない)ゆったりするのも人生後半、大事であると思いました。

ぼんやりしていて俳句もできなかった。

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搾られるぜ 政治に

というのは、エコと言いつつ、(この概念も良く考えるとワカランところあり)太陽光発電、国策としてやり始めた。

これが今、ものすごく売れ始めたと言う。つまり、電気を買いますよ、という政策からである。

戦略局のボスが言うには「いいですか、みなさん。これは全く税金が、かからないんですよ。国が皆さんの家で発電した電気を買うんです」と。

ところが、ワシはこれを調べてみたら、設置に250万から300万円掛かる。さらに耐用年数は10年。それ以降は、メンテナンスにむろん費用が掛かる。これをとりもどすには、やく30年と言われている。

若い人ならいい。ワシら後半人生組は、たぶんそれまでにはオサラバしておる。さらにさらに、電気料金のアップ分は国民負担になる。つまりこういうことになる。

カネモチで、まご子のいる家で、しかもその家を必ず譲りますという考えのお宅は設置したらよい。

何十年か後では、得するだろう。

ということで、あわてて国策に飛びついてはならん。特にワシのような、高齢者の仲間にはいっているもので、しかも預貯金、少ないものはやめた方がよい、という結論である。

今のままで毎月アップした電気料金、節約していくほうが、生き延びられる。わし等の預貯金はなぜこんなにも、(ワシは別にして)この国では蓄えているのか。それはこの国では老後の保障がないからである。だから少しずつ貯めこんで、葬式代くらいはじぶんで出そう、と思っているのである。

政府は、それさえも吐き出させようとしている。何の景気対策も社会保障の充実の方向も示さずに、だ。たぶん、国民の預貯金ねらいである。はっきり言って。

であるからして、ETCもワシは設置しない。高速道路無料化になるから、ではない。そんな政策、完全にできるわけがない。かならず、なし崩しになる。一部、儲かる道路は残すはずだ。ところで、ワシは、そんなにあちこち高速で行きやしない。やはりこれもうまいコト言われて、懐から吐き出させようというコンタンであろう。

マイナス25パーセントのつけ。ワシが言うとおりになってきたなあ。環境保護税、来たなあ。さらに国連では、日本からの援助、待っているはず。あたりまえだ、あれだけ世界にアッピールしちまったのだ。ゼニよこせ、になるに決まっている。言いだしっぺは、ハラワニャナラン。それもひょっとしたらニッポンより金持ちの国に、だ。

こういう風に、どうも政治というものは、どこかインチキであり、アホなのである。霞ヶ関がオオバカなのではない。権力握りたいだけの政治家が、アホなのである。今日本は、金を捻出するのに、躍起となっている。政治家は自分の高い報酬は黙ってもらっておいて、わし等に、懐緩めさせて搾り取るつもりである。

余人は知らず、ワシは、エコには乗っからない。ハイブリットカーも買わない。今の車、つぶれるまで乗る。どうせ、あと三十年も生きちゃいない。自分の使いたいところに金は使う。といってもたかが年金。たいしたことは出来やしない。だからこそ、政策の巧妙な搾り取りには、使いません。

どうせ、ムダの排除の最骨頂は、わし等人生後半組なのだ。わし等こそ、排除されたら国家としてどんなに身軽になるでしょう。そういうターゲットにされかねないのが、政治というものだ。どんなにうまいコト言ったって、カネの無い政府では、身動きできまい。これからどんな苦し紛れの政策打ち出すか、空恐ろしい。しっかりせんとなあ、わし等。

というところで、今日から、今週末まで、芋掘りに畑へ行ってくる。芋でも食って、1週間でも十日でも生き延びんとなあ。ったく・・・・。

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海外流出は、技術だけか

という大きなテーマで書けるわけはないのだが、昨日、大きな武道館に行くことがあった。そこで、体の大きな外国人が、柔道着のような稽古着を着て、なにやら武道をやっているらしいのが見えた。

中に入ってはいけない、というので垣間見えるだけの様子であるが、(こういうところにニッポン人特有の秘密主義みたいなところがあるのだが)袋竹刀を持って叩いたり、技を掛けたりしているので、合気道のようなものと思われる。

この合気道と言うものは、ニッポンジンでもどんな武道なのか、あまり見かけないし、よく知らないと思われる。それを半数以上はどうやら外国人が稽古しているのであった。

全員裸足である。ロビーに出てきて、談笑している。それに混じって、日本の若い女性が、これもやはり裸足で、稽古着きて、何のお化粧もせずに、ロビーで立ち話していたのであるが、ワシはなんだか、ニッポンは、武道までも流出してしまうのではないか、という危惧の様なものを感じてしまったのである。

ジュードーあるいはスモウレスリングと同じく、伝統的に磨いてきた日本独特の武道あるいは武道的なるもの、外国人はそのままそっくり受け入れることはまずないであろうから、少しずつ原型は変形していくだろうと思われる。それがいいのかどうかはワシには分からんが、なんだかニッポンジン大丈夫なのかい、と思ってしまうのである。

多くの大きな外国人に囲まれていた、あの若い女性達では、これからその武道を託すのには、失礼ながら心細いように思われた。

ま、そんなことはワシが心配するようなことではないのだが・・・・。なんとなくニッポンジンとしてのアイデンテテイが、崩れてしまうような、不安感をもたざるをえなかった。

なんでも外国に流れる。環境の技術も、効果ガス削減ぶち上げた手前、どんどん提供するようになろう。それはまあ人類に貢献するのではあるが、景気優先のけっこうな金持ちの国に、提供するのもなんだかすっきりしないのである。

ようするにワシがケチだ、ということか・・・・。

もの言えばくちびる寒し・・・であるなあ。

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いきなり怒り出すお年寄り

時々こういう年寄りを見かける。

今日も、体育館で、運動のようなものを何人か集まってやったのだが、いきなり、外の広場の方から、怒鳴り声が聞こえる。

驚いて見ると、60台か、と思われる髭を生やしたオヤジが、通る人に向かって怒鳴っている。そのオヤジは時々、我われが使用してる体育館の一室の前で、空手の突きの練習をやっていた。

その様子を、通りがかりの女性が(中年の女性の声だった)じっと見ていたらしいのだ。それを「なんでじっと見ているんだ、バカヤロウ」と怒鳴ったのであった。

女性は何か口答えと言うか、謝ったというか、言葉は聞き取れなかったが、そんなことがあった。なんだろうね、このオヤジ。

ところがワシらの団体の中で八十歳を越えた人がいるのだが、その人もいきなり怒鳴ったのである。空手のオヤジに関連したことではない。ワシらの中で、ナニカ言った人がいて、その人に怒鳴ったのである。あとから言われた人になんと言ったのか、聞いたが、別にたいしたことではない。順番を守ってやりましょう、ぐらいのことであった。怒鳴り出すような内容ではなかったのである。

ふだんはこの人はおとなしい人で、紳士である。ニコニコしていて、だれにも愛想がよく、ウケも良い人なのに、である。

思うに、これはやはり加齢から来るナニカ、なのであろう。ボケるとかそういうたぐいのものなのかどうか、それはワシには分からん。だが、けっこうこういう風にキレルオヤジがいるのである。オバンも見かけたことがある。

通りを歩いていて、オートバイがそのオバンの側を通り抜けていった。ばりばりっと、爆音響かせて。これはやはり頭にくる。オバンは、その若いウンちゃんに向かって、「ナンダヨー、うっせえなあ」であった。大声である。ウンちゃんが機嫌を損ねたら、アブナイところである。

この女性もけっこう洒落た服を着た60台くらいのちゃんとしたオバンである。オートバイはたしかに(うるせえ)のだが、このオバンの罵声の方がもっと衝撃的であった。

ワシもこのごろ、いきなり立腹することがある。掃除などしているときに、掃除機がなかなかこっちに動いてくれずに、敷居などに当たって動かない。こんなちょっとしたことにリップクしてしまう。「コノヤロー、なんでこっちに来ねえんだ!!」と掃除機に言っている。

これはやはり、老人性の頑固症とでも言うべき病変なのかもしれん、と思うのである。

怖いのはそれに気づかないで、ナニカというと、怒鳴りまくったり、突き飛ばしたりする、そういう異常行動に発展することである。

他からの忠告も、歳を取るとなかなかしてもらえない。気の毒に・・・・で終る。ワシもいきなりリップクする時には、自制しなければ、と思った今日この頃である。

こういうことを書くのも、クソッと思ってしまうのである。ダメだこりゃ。

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よくよく考えてみれば世は何事もなし

というのが一番である。

それで今日は、何事もなし。

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